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2008年12月に作成された記事

2008年12月21日 (日)

口永良部島編:part4


和坊放浪記:口永良部島編part4


平成17年備忘録


 項目

■口永良部島・寝待湯治小屋
 24日目:10月2日(日) 曇のち晴   (後境・進入路完成)
 地図1:後境周辺
 25日目:10月3日(月) 雨のち晴   (寝待集落清掃)
 26日目:10月4日(火) 曇のち晴   (新岳登山)
 地図2:口永良部島中央部
 27日目:10月5日(水) 雨のち晴   (部屋内でテント生活開始)
 28日目:10月6日(木) 晴一時小雨 (後境・貝採り)
 29日目:10月7日(金) 晴       (寝待集落清掃)
 30日目:10月8日(土) 雨のち曇   (屋久島出発準備)
 31日目:10月9日(日) 曇のち晴   (水源整備)
本文中赤字は写真あり
写真

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■口永良部島・寝待湯治小屋


24日目:10月2日(日) 曇のち晴  (後境・進入路完成)

地図1:後境周辺
後境周辺地図
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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 寝待の西側の突起部、釣りと貝採取の岩場・後境の進入路造りを始めて今日で3日目。

 昨日は、谷川を渡り直して、その先の谷筋を下る道が判明しなかったので、今日はその続きの作業をする。

 谷川を渡って、川沿いを下ると、谷筋から離れ登りになるところまでの道は完成済み。

 この場所から、20~30cmの岩の間に涸れ沢跡があったので、そこを進むと、谷川上の狭い道に出たので、この道が正解と直感し、竹を掃いがむしゃらに前進すると、突然視界が開け、海が現れた。

 谷川沿いの、腰の高さ程度の竹藪をかき分け進むと、平らな一枚岩と野芝の茂る広場に出た。

 広場の前から左手にかけては、沢山の奇岩が並ぶ海岸で、右下に降りた先にも岩場が続いている。

 やっと海岸に到着した安堵感からか、体から力が抜け、体がだるく、熱中症的な症状が出てきたので、30分程休憩してから、引き揚げる。

 寝待に帰って温泉に入っても体のだるさは消えない。2時過ぎに遅い昼食のざるそばとビールを飲んでやっと元気が出てきた。

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25日目:10月3日(月) 雨のち晴  (寝待集落清掃)

 4時前に起床、温泉に行く時にぽつぽつ降り出した雨が、入浴後に本降りになった。

 6時前に一旦止んだが、午前中は、降ったり止んだりを繰り返す。

 昼から晴れ間が出てきたので、生活水路の整備と、温泉までの道筋と温泉の山側に在る水神を祀る祠に通じる道を清掃する。

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26日目:10月4日(火) 曇のち晴  (新岳登山)

地図2:口永良部島中央部
口永良部島中央部地図
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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 今朝目を覚まし、5時と思って急いで温泉に行って時計を見ると2時30分だった。ゆっくり温泉に入ってから、日課のストレッチをして朝食。

 朝食後、新岳(注1)に登る為7時に出発。

 一周道路を走り、本村集落手前の前田分岐を左折、前田、向江浜集落を通過して、砂防ダムに到着。

 砂防ダムと云っても、コンクリート造りではなく、金網の中に石を入れたもの。ここから、新岳を仰ぎ見ることが出来る。

 登山口から、涸れた沢伝いにひたすら登る。ペンキの目印やテープが付いているので迷うことはなく、直線距離で1,5kmのガレ場(岩石がごろごろしている場所)を登ること約2時間で、新岳火口縁に到着した。

 火口壁の東縁を辿り北に進路を取る。途中右手に深い割れ目が平行して走り不気味な様相を見せている。

 この斜面を通過して、三角点山に到着。眼下に野池の全景を見ながら昼食休憩。

 昼食後、野池から下山しかけるが、砂防ダムに自転車を置いているのに気が付き、来た道を引き返す。

 下山後、本村の羽生商店で焼酎・三岳とビールを買ってから、Aコープに寄るが偶数日なので何もない。玉ねぎがあったので購入し、寝待に帰る。

注1:新岳火山
数1000年前に古岳火山の北西側山腹が崩壊、9世紀あるいは11世紀ごろに相次いで噴出し出現した最も新しい火山である
新岳火山山頂部には1930年代の噴火によって開口した、直径約250mの中央火口が、また、新岳火山体の東側には1945年(昭和20)の噴火による、南北に伸びる延長約500mの割れ目火口が開口している。
新期古岳火山・新岳火山の成長に伴う火山礫や火山灰の噴出物は,北西部を除く口永良部島のほぼ全域に降下、口永良部島東部の湯向から町営牧場地域にかけては、火山礫を含む火山灰層が2~3 mの厚さで堆積し、また新期古岳火山・新岳火山の山頂火口からおよそ3kmの範囲の地表には,直径数10cm以上の投出岩塊が多数みられる。
☆近年の火山活動
1841年(天保3年)には複数回噴火し,現在の前田集落付近に火山礫が降下したとの記録があり、それ以降1931~35年頃と1966~80年にかけて噴火が頻発しているが全て新岳の山頂火口及びその周辺から発生している。
☆1931(昭和6)~35年(昭和10)の噴火
新岳火口およびその周辺で噴火活動が活発化し、しばしば爆発的噴火が発生。火山岩塊は新岳火口から約2km離れた向江浜集落付近まで到達するとともに広範囲に森林火災が発生し、高温のマグマ物質が放出された。
1932(昭和7)年12月25日の噴火では火口から1.7km東麓の七釜集落に高温の火山礫が多数降下し,集落13戸が全焼。死者8名、重軽傷27名を出している。
また、新岳から北西に流下する向江浜川にはたびたび二次的な土石流が発生。主要な活動が終了して約1年後の1935(昭和8)年4月4日には、向江浜川で降雨による大規模な土石流が発生し、硫黄精錬施設が集中していた向江浜集落が被災、死者5名の被害を生じた。
なお、1934~35年にかけて北隣の薩摩硫黄島火山でも海底噴火が発生し、昭和硫黄島が形成された。
☆1945(昭和20)年の噴火
11月3日、新岳山頂東側に開口した側火口および割れ目火口から発生した水蒸気噴火の降灰は屋久島の栗生まで到達した。
☆1966(昭和41)年の噴火
11月22日には新岳山頂火口から爆発的噴火が発生し、島の南部~東部を中心に降灰があったほか、北側山腹の広い範囲に投出岩塊が飛散した。
新岳火口から約3.5km北方に離れた寝待温泉の海上にまで多数の岩塊が到達し、本村~湯向間の道路が寸断された。また、高温の火山岩塊の着地によって北側山麓を中心に広範囲で山林火災が発生した。降灰は屋久島・種子島まで到達した。
1966(昭和41)年噴火以降新岳の噴火活動は活発になった。1970年代にかけて新岳火口から断続的に小噴火が発生し、新岳火口周辺に投出岩塊を飛散させたほか山麓に少量の降灰をもたらした。
☆1980(昭和55)年の噴火
9月28日には,新岳山頂の東側を南北に走る既存の割れ目火口から噴火し、火口列近傍に火山礫が飛散したほか、南西方向に火山灰が飛散した。
※独立行政法人・産総研(AIST)火山地質図 電子試作版より抜粋。

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27日目:10月5日(水) 雨のち晴  (部屋内でテント生活開始)

 3時に起床。朝風呂から上がって暫くしてから雨が降り出した。その雨も7時過ぎには止んだので、8時から、森杉のバッチャン宅の裏山の草刈りをする。

 裏山は、旧道に繋がる竹藪とツワブキ(注2)が茂っている急斜面。

 この急斜面の草刈りを、足の悪い森杉のバッチャンがするのは酷なので、暇な時にしてあげると約束していたので、本日実施する。

 足場の悪い急斜面での作業は、可成りの重労働だったので、本日の作業は午前中で終了し、温泉で疲れを癒す。

 朝起きて温泉。疲れては温泉。汗をかけば温泉。泳いで温泉・・・温泉三昧の毎日は極楽・極楽。

 午後から、部屋の中にテントを張る。

 何故かと云えば、湯治小屋の畳が古く、一部腐っている部分がある関係か、虫刺されが酷く、難儀していたところ、3号室を利用していた神戸の2人組と、2号室の種子島の太田さんが、バルサンを焚いて以来、虫刺されが以前より酷くなり、痒くて寝られない毎日が続いているので、今日からテントの中に寝ることにした。

 テント泊は久しぶり。部屋の中でのテント泊も乙なもの。

注2:ツワブキ
ツワブキとはキク科ツワブキ属の多年草。名前の由来は、「艶のある葉のフキ」から転じたもので、沖縄方言では「ちぃぱっぱ」とも云う。
葉の表面には光沢があり美しく、日陰でもよく育つので古くから庭園の下草として利用され、晩秋に花茎を伸ばして一重の黄色い花を数輪~10輪程度咲き、花後はタンポポのような綿毛ができて風が吹くとタネが飛んでいく。
茎を利用して、醤油などで煮込み保存食としたり、昔は、生葉を冷湿布として、また葉を炙り表皮を除いたものを、腫れ物などの外用薬にし、利用していた。

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28日目:10月6日(木) 晴一時小雨  (後境・貝採り)

 昨日は6時に就寝。テント泊の効果は抜群。湯治小屋に来て初めて痒みの無い夜を過ごすことが出来た。

 しかし、テントの中は暑い。持参のダンロップ製山岳テントの入口の虫よけネットが細かすぎて扇風機の風も入らない。

 虫に刺されるか、暑さを我慢するか・・・

 2時30分に目覚め、星空観察をしてから、温泉入浴。午前中一時雨が降った以外晴れ間が続く。

 湯治小屋2号室から、広めの1号室に移った種子島の太田さん夫婦に、後境の岩場の案内を頼まれたので同行する。

 竹林を抜け、野芝の茂った広場から、右側の海岸に降りて、小休止。

 24日の後境・進入路完成時は体の調子が悪くて、後境の岩場に行けなかったので、今日は種子島の太田さんと2人で、後境の先端に行く。

 種子島の太田さんは漁師だけあって、スパイク付きの磯足袋を履いて用意万端。

 後境の先端に行くには、海岸東の崖を回り込むか、崖越えする2通りのコースがあるが、崖越えは波の高い時用と判断。本日の干潮は14時なので、崖を回り込むコースで岩場に出る。

 この後境の岩場は、昔から魚影が濃く、大量の貝が獲れる地元民羨望の地と云われるだけあって、岩場には貝がビッシリ。

 種子島の太田さんは、波打ち際の岩場に張り付いて、貝の採取に専念している。スパイク付きの磯足袋を履いて為せる技。

 この、スパイク付きの磯足袋は島の人の殆どが使用している。岩場は勿論、竹林に入ったり、急斜面の山肌では威力を発揮する便利な履物である。

 自分の使用する、レッドウイング製のワークブーツは値段だけ高くて役立たず、特に、岩場ではグリップ力はゼロに等しく何度も転倒しそうになる。

 相変わらず種子島の太田さんは、波飛沫を浴びて貝を取っている。特に貝の採取に興味が無いので、近隣を散策する。

 後境の岩場から海岸に戻る。太田さんの奥さんが、ニシンゴと云う小さな巻貝を沢山取っていた。

 砂浜の無い岩だらけの海岸から野芝の茂る広場に行くと、テラスになるような1枚岩が数か所あり、寝そべって昼寝をする事が出来る。

 また、野芝広場の西側に流れ込む谷川を渡った先には、奇岩が立ち並ぶ美しい自然景観が広がる。
 個人的見解であるが、この場所は口永良部島一美しい景色が見られる場所と推奨する。日を改めこの場所でキャンプをしたいと思った。

 太田さん夫婦は、アナゴ貝、ナガラメ(トコブシ)、亀の手等の貝を大量に取り、寝待集落の人に配ってくれた。お裾分けを受ける。

 種子島の太田さんは、島に自生する竹を利用して、手製の銛(ヤス)を作り、素潜りで魚を取る名人で、取った魚を集落の人に配ってくれる。

 ここ、口永良部島では、魚介類だけではなく、旬の野菜等も収穫の際には分け与えるのが当たり前の如くに行われ、昔の日本の良き姿を垣間見ることが出来、その度にお裾分けを受ける今日此の頃である。

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29日目:10月7日(金) 晴  (寝待集落清掃)

 昨夜は6時に就寝し、5時起床。11時間熟睡する。部屋内のテント泊の効果抜群。

 8時から、2日前に草刈りをした森杉のバッチャンの裏山の草刈りの続きをする。午前中に完了。

 午後からは、海岸沿いに打ち上げられているペットボトルと発泡スチロールを拾い集める。人が入れる様なビーニール袋に4袋もあった。

 湯治小屋2号室に北海道の北見からカップルのハイカーがやってきた。少しは賑やかになるかも・・・

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30日目:10月8日(土) 雨のち曇  (屋久島出発準備)

 昨夜11時過ぎに雷の音で目が覚め、雨は本降りになっていた。今朝も雨が降り続いている。

 自転車は、待避壕の中に入れてカバーを掛けているが、海風がまともに当たるので金属部の錆びが顕著。明後日には屋久島に出発するので、分解整備をする。

 屋久島には、自転車の部品調達と登山靴の購入以外に、海楽園キャンプ場のオーナー大隅さんとの約束を果たす為に訪問する。

 約束とは、屋久島に於ける入山時は天候に恵まれず、満足な登山が出来なかった事を知る大隅さんが、「10月に入れば天候が安定する」ので再訪島すればと助言され、大きなテントも預かってもらっている為である。

 午後から雨が止んだので、試運転を兼ね本村の羽生商店迄行き、ビールの買い出しをする。

 夕方、公民館長の林さん夫婦と家族が温泉入浴に来たので、明後日までの湯治小屋使用料を清算すると同時に10日後の湯治小屋の予約も入れる。

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31日目:10月9日(日) 曇のち晴  (水源整備)

 昨夜も6時に就寝。4時に起床して、日課のストレッチをしてから温泉に入り、朝食。

 屋久島の出発準備をしているところに、湯治小屋1号室の種子島の太田さんが、「水道が出なくなったので、原因を探る為水源まで行くので手伝ってほしい」とやってきた。

 種子島の太田さんは毎年口永良部島に来ているので、簡易水道の水源も熟知しているらしい。

 水源は、口永良部島林道寝待線(新道)の駐車場の水路に沿った急斜面の奥にあるらしい。

 トイレと水路の間の斜面を登ると、円形の大きな貯水タンクが設置されている。

 そのタンクにパイプが接続されているが、タンク内に水は流れてこないので、水源からタンク迄の間に問題が発生した様子。

 竹林の中を鎌で払い道を造って前進する。後境の岩場の進入路造りを経験しているので苦にはならないが、急斜面の足場確保に難儀する。

 何かにつかまらなければずり落ちる程の急斜面での道造り。

 水源に辿りつくまでの中間地点に3か所のタンクが設置されていた。

 それぞれのタンクに水が来ていない。

 原因は水源にある事が分かった。水源は、急斜面の突き当たりの巨石の下に在った。

 巨石の上部に湧水があるらしく、滴り落ちる水を集められるようにセメントで囲った堰が造られ、その上に竹を組んだ蓋があり、その上に石の重しが置かれている。

 その蓋を取り除くと、堰の中は、ゴミと泥が詰まっていた。

 ゴミ詰まりが断水の原因と判明する。

 堰の下部には、口径40~50mmの立派な排水用バルブが設置されているが、肝心のハンドルが付いていない。周りを見ると丸くて赤いハンドルが腐って脱落していた。

 仕方なく堰に溜まっているゴミと泥を手で掻き出す。ゴミは完全に取り除いたが、残っている泥は自然に流れ出るだろうと予測し、近くの竹を刈って新しい蓋を作って作業を終了した。

 タンクの中には泥混じりの水が流れこんだが、夕方には綺麗な水が出るようになった。

 夜は、湯治小屋1号室の種子島の太田さんの部屋で、2号室の北海道北見のカップルを交え、酒を飲む。

 明日から10日間の屋久島出張。

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写真


写真は和坊流宇宙(http://www.justmystage.com/home/kazubo/)の和坊放浪記:口永良部島編part4でご覧ください。


続く・口永良部島part5:屋久島出張編


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2008年12月16日 (火)

口永良部島編:part3


和坊放浪記・口永良部島編part3


平成17年・備忘録


 項目

■口永良部島・寝待湯治小屋
 14日目:9月22日(木) 晴     (野池散策)
 地図:野池周辺
 15日目:9月23日(金) 晴     (寝待・温泉情報) 禁酒
 16日目:9月24日(土) 晴     (ゆうパック到着) 禁酒
 17日目:9月25日(日) 晴     (金岳小・中学校運動会)  禁酒
 18日目:9月26日(月) 晴     (後境・進入路探索1回目) 禁酒
 19日目:9月27日(火) 晴     (星空観察)
 星空:冬の星座
 20日目:9月28日(水) 雨のち晴  (寝待住民勢揃い)
 21日目:9月29日(木) 雨     (湯治小屋・漏電?)
 22日目:9月30日(金) 曇のち晴  (欠航丸・面目躍如)
 23日目:10月1日(土) 晴   (後境・進入路探索2回目or引越しパーティー)
※本文中赤字は写真あり
金岳小学校・金岳中学校山海留学実施要項
写真(寝待温泉)

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■口永良部島・寝待湯治小屋


14日目:9月22日(木) 晴  (野池散策)

地図
口永良部島中央部・野池周辺
口永良部島中央部地図・野池周辺
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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 今日は、先日道路整備をした旧寝待線を利用して、湯向方面の散策に出掛ける。

 旧寝待線から一周道路に出て、湯向方面に200m程行くと、谷筋のヘアピンカーブの先に、右に入る砂利道があるので、その緩やかな登りの坂道に入る。

 鹿が走り周る照葉樹林を過ぎ、竹林に至る一部の道はコンクリート舗装が残っている。

 どうも、この道は、元々コンクリート舗装道だったが、台風等でコンクリートが剥がれ、下部の砂利が表面に現われているのではないかと思われる。

 残っているコンクリート舗装も途切れ、竹林から針葉樹林に変化した林道の先(一周道路から約1km)の木々に赤いテープが沢山付いている。

 右手に手書きで野池方面と小さな道標が架かっており、針葉樹林帯の山に入り道を探すと、急な山肌を直線的に登るようなコースに赤いテープが見えた。

 口永良部島は川が無いのに、湧水が豊富で、各集落共に湧水を利用した簡易水道を利用している現実があり、道標の野池とは、山の上に在る池かと勝手に判断。

 赤いテープを頼りに、急な坂を登り切ると、竹林に入る。緩やかな登りの竹林を過ぎると、針葉樹林帯に変わる。

 陽の当たらない林の先に明るい光が見えたと思うと急に展望が開け、林の中に丸い広場が現われた。例えは悪いが頭部の円形ハゲの様な感じを受けた。

 野池(注1)と付いているのに、水は無く、円形広場の中では、無数の鹿がたむろしていた。

 野池からは、新岳に抜けられるが、本日は登山準備をしていないので、野池周辺を散策してから引き返す。
 
 帰る途中、竹林の中で迷い、野池まで戻ることになったが、注意散漫の結果を反省しつつ、一周道路に出て、寝待に3時に到着。シュノーケリングをする。

注1:野池
大昔の火口の底です。野池火山の火口縁が削られて出来た火口底で、昔は魚が住む火口湖があったと伝えられているが、現在は水は無く天然芝生が茂り、鹿のたまり場になっている。
【備考】口永良部島の主要部北半分を構成する火山体の1つが野池火山で、一等三角点口永良部島(600.1m)のピークをふくむ口永良部島中央部の北側を占めている。29,000年前までには野池火山はほぼ現在の大きさまで成長していたと考えられ、野池火山の活動末期(約15,000年前)に野池火砕丘を形成、約13,000年前以降,野池火山の南側で古期古岳火山が成長を開始すると共に野池火山の活動は終了した。※独立行政法人・産総研(AIST)火山地質図 電子試作版より抜粋

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15日目:9月23日(金) 晴  (寝待・温泉情報)  禁酒

 昨夜は6時に寝て、起きたのが5時。よく寝た。寝待温泉に来てから、朝風呂が日課となっている。

 温泉の入口は、台風14号で裏山の崖が崩れ木製の扉が破損、通路内は土石で埋もれ、女風呂の脱衣所窓も破損したままではあるが、寝待温泉の泉源(源泉)に被害はなかったので入浴に支障はない。

 ここで、温泉の状況を説明すると、寝待温泉周辺では、海岸沿いや海底に温泉が湧出しているが、湧出量と温度が最適だった現在の場所に、温泉施設を設置。

 当初は海を見渡せる露天風呂だったが、台風被害の高波を避ける為防波堤と屋根を付け、2001年には、温泉を外見上トイレかと勘違いするコンクリートの建物で囲う現在の形にした。

 建物内は入口を入り左側に男性脱衣場と浴室。右側に女子脱衣所と浴室がある。

 泉源は、男湯の浴室中央洗い場下に在り、浴槽に自然湧出している掛け流し温泉で、通常は、取り外し出来る卍を分解した形(クランク)のパイプを通じて、浴槽上面に流れ出すようになっている他に、浴槽底の玉石の間からも温泉が湧出している。

 温泉は、入口の説明板に、性状・無色透明。効能・皮膚病(アトピー性皮膚炎、あせも他)、神経痛(腰痛、肩こり、関節痛他)とあるが、島民は、皮膚病は勿論、性欲増進や切り傷に抜群の効能があると信じており、人間は勿論、飼育する肉牛が怪我をした時には温泉を汲んで傷に掛けたり、飲泉の為に容器に温泉水を汲んで持ち帰る人達や、目を洗い、歯を磨く人達がいる。

 また、実際の湯船は乳白色の温泉なのに、説明板の無色透明に疑問を抱く人は、温泉清掃日(10日に1度)の終了後、湯船に温泉を張った直後に訪れると透明な温泉を見ることが出来る。

 このことから、泉源(源泉)は無色透明であるが、人間が入ると乳白色に変化する温泉なのだ!

 なお、寝待温泉は男女別の湯船と脱衣所があるが、男湯の浴槽からパイプを通じて、女湯に流れ込む構造から、女湯の温泉温度が低くなるため、通常は男湯での混浴営業になっている。

 ただし、混浴を好まない人は、男湯浴槽仕切り下部にある引き込みパイプの木栓を外すと、女湯に温泉が流れ込むようになっているので、管理者に頼んでみるのも一考である。

 こんな温泉に、1日3回は入浴している今日此の頃である。

 本日も快晴。午前中はシュノーケリング。シュノーケリング終了後は温泉に入るのが、最近の生活習慣になっている、

 今日も海から上がって温泉に行くと、温泉前に単車が止まっており、先客がいるのかと思ったが、単車の主は、防波堤奥に居た。

 背負い籠(注2)に、釣り道具が収められ、仙水ケ鼻(寝待の先端)に釣りに行く準備をしていた。

 この人は、田代集落に居住するジッチャン(田代のジッチャンと命名)。2日後に90歳の誕生日を迎えるとは到底思えない元気はつらつ老人。

 仙水ヶ鼻に行くには、垂直の崖を2か所超えなければならない。16日の散策時は何も持たずに行ったが、それでも大変だったのに、この田代のジッチャンは釣り道具を入れた背負い籠を担ぎ、何無く崖を越え、釣り場に着いた。

 田代のジッチャンから、近くに、野イ瀬、平板、後境と呼ばれる絶好の釣り場があるが、野イ瀬以外は釣り場に通じる道が荒れはて何年も行っていない・・・と云う情報を貰う。

 湯治小屋に帰ると、3号室の神戸の2人組は、26日まで逗留予定だったが、急用が出来たので、明日の便で帰ると、余った食料品を沢山頂いた。

 今週は、島に物資が入荷する奇数日の23、25日はAコープが休みなので、27日迄待たなければならず、天からの贈り物(大袈裟ではなく、島での物資調達は困難を極める)として、有難く頂戴する。

注2:背負い籠
背負い籠は別名「てご」と呼ばれ、釣道具から、弁当、鎌、釣果の魚等々何でも入れれる便利なディバック(リュックサック)。
口永良部島の70~80%は、竹藪なのと、自給自足の島の知恵から竹細工が盛んで、背負い籠の他に、「ざる」や魚の餌を入れる蓋つきの小さな籠も全て自家製である。

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16日目:9月24日(土) 晴  (ゆうパック到着)  禁酒

 昨夜は、久しぶりに9時前まで起きていたが、起床は何時もと同じ4時に目が覚め朝風呂。

 湯治小屋3号室の神戸の2人組が10時20分発のフェリーに乗船するので、本村港迄見送りに行って寝待に帰ると、神戸の姉からゆうパックが届いていた。

 箱を開けると、食料品と衣料の他に現金も入っていた。現金も嬉しいが、それ以上に食料品が入っているのが有難かった。この島ではお金があっても買うものが無いので、何よりのプレゼントである。

 明日は、金岳小・中学校での運動会なので、送ってもらった食料品で何時もより豪華な弁当を作って見学に行くつもり。

 昼からは、湯治小屋2号室の種子島のジッチャンが棚を作る為、流木を集めに行くと云うので手伝うことにした。

 立神岩から、海岸沿いを西側に歩いて行く。海岸には色々なものが流れ着いていた。

 漁に使用するブイや網、イカ漁に使用する引っかけ針や釣糸、発泡スチロールの箱、大小様々なロープ類・・・凄まじい量のゴミが海岸に打ち上げられているのを発見。

 何よりも驚いたのは、大きなコンクリートの長方形(約10m×約2m×約1m)の塊が波打ち際に横たわっており、かなり以前からのものか、表面には貝が一面に張り付いている。

 塊の先の山肌を見ると、寝待線の道路を挟んで上下の山肌に崖崩れ跡が見え、道路の崖側の急斜面崩落防止のコンクリート擁壁の一部が無くなっている。

 海岸のコンクリートの塊の正体が分かった。それにしても、何年も(塊はかなり古かったので)崩落現場を放置しているのは、行政としては如何なものかと思うが、離島の現実を垣間見た感がした。

 とにかく、木材集めで新たな島の状況を見、流木を集めて湯治小屋に持ち帰る。

 その流木で、種子島のジッチャンは2号室前に約2m×1m四方、高さ約1mの棚を作った。

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17日目:9月25日(日) 晴  (金岳小・中学校運動会)  禁酒

 今日は、金岳小・中学校(注3)の運動会。弁当箱が無いので、2個のコッフェルにご飯と、おかずを入れて、学校がある本村に出掛ける。

 学校の入口には、万国旗をあしらった飾り付けがされ、グランド周りにはテントが設営。寝待の2人のバッチャン達を始め、沢山の人が集まっていた。

 金岳小・中学校の全校生徒は7名なので、どんな内容の運動会かと興味があったが、生徒たちの、と云うよりも、島民の運動会だった。

 色々な種目に参加すると、参加賞として生活用品が貰える。島民たちは、子供に支持したり、自身が参加して、必要な生活用品をゲットして喜んでいた。

 また、昼休み前には、新しく島民になった人達の紹介があり、寝待湯治小屋1号室の前原夫婦も挨拶をしていた。

 運動会が終われば、汗を流すため温泉が満員になると予想して、早めに寝待に帰り、温泉に入り、ビールを飲みたいのを我慢して3日目の禁酒をする。

注3:金岳小・中学校
小・中の併設校で、生徒数7名(平成17年)で「南海ひょうたん島留学」を行っている。
小学校は、現在発電所の在る場所から、昭和55年現在地に移転、中学校との併置となる。
平成3年6月、体育館完成。
平成6年5月、中学校新校舎完成。
※校庭に在るヤシの木は、天然記念物のエラブオオコウモリの観察(21~22時頃)ポイント。観察できなかった場合は、学校内に剥製がある。
エラブオオコウモリ:全体は黒いが首の回りに、幅広の白または黄色の首輪がある。口永良部島とトカラ列島に分布。
※備考:オキチモズク(1938年に愛媛県の「お吉泉」で発見され、命名されたた野生水生生物)
学校前の水路が、日本の希少な野生水生生物であるオキチモズクの生育地であることを、小学校の北健二郎教諭が見つけた。

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18日目:9月26日(月) 晴  (後境・進入路探索1回目)  禁酒

 今日は、寝待の西隣に在る、後境の岩場に行く進入路を探索がてら、道造りをする。

 鎌とナタ、それに目印にする、浜に打ち上げられていた漁業用の赤系色ロープの撚りを戻し40~50cmに切った紐縄を20~30本持って出掛ける。

 後境の岩場は、釣りや、貝の採取場として島民が利用していたが、足場が悪いのと高齢化もともなって、利用する人がいなくなり、進入路は荒れ果てている。

 と云う事を聞かされていたため、先日知り合った、90歳の田代のジッチャンからの進入路の状況聴取を元に復元作業にとりかかる。

 進入路の入口は、先日15日に散策したダムだった。ダムは、寝待集落から、寝待線を登って行き、道路陥没箇所を過ぎ、右に入るデコボコ道の先に在る。

 まずデコボコ道に覆いかぶさる竹を、持参の鎌とナタで掃い、歩き易いようにしてダムに到着する。

 ダムの手前に、数か所の踏み跡の1つに入り、足下の草木を掃いながら進行すると、直ぐに荒れ地の急な下りになり、古いロープが下がっている。

 坂を降り、小川沿いの岩場を進むと突き当たりになるので、川を渡り、竹林の中に入る。帰りの目印に竹に赤い紐縄を結んで進む。

 竹林の中は、けもの道(鹿)と思われる筋があちこちにある。取敢えず、川沿いを進むと、左に逸れるようになり、その先は登りなっている。

 登り道を進むと、田代の電波塔下に出たので、引返す。

 田代のジッチャンの情報では、川を2度渡ると云っていたが、この地点で川を渡る事は困難。

 今日の作業はこの地点で中止して、寝待に帰り温泉に入る。

 夕食は、昨日の残りご飯を焼き飯にし、スープを作り食する。今日も禁酒。

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19日目:9月27日(火) 晴  (星空観察)

星空冬の星座
星空:冬の星座

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 4時に起床。空を見上げると、素晴らしい星空。南の島々は其々に美しい星空を仰ぎ見てきたが、ここ、口永良部島・寝待の星空も、それらに負けてはいなかった。

 暗くなって外出しない生活習慣と、寝待は南側には、冬場は太陽の光も届かない切り立った山肌が迫っており、星空を見られる環境には無いと思いこんでいたのが、間違いだった。

 何よりも、邪魔な人工光が皆無。4時を過ぎれば明るくなってくるが、4時前は暗黒世界。稜線に沿って、冬の星座であるオリオン座がクッキリ・ハッキリ間近に見える。

 暫く星空観察をしてから、温泉に入り、贅沢な時間を過ごすことが出来る事に感謝する。

 午前中、本村の羽生商店で焼酎・三岳とビールの買出しに行った。4日間も禁酒をしたので、今夜の酒が楽しみ。

 寝待に帰ると、湯治小屋・2号室の前原さんが、寝待先端(崖の下)で魚釣りをしている。見学に行くと、前原さんは釣りが趣味だが、牛の世話で忙しくて、釣りをする機会が無かったが、今日は、お母ちゃんに牛の世話を押し付け、釣りをしているとの事だった。

 夕方、前原さんの奥さんから、シツ(注4)の刺身とみそ汁の差し入れがあったので、さっそく酒の肴にして、4日間の禁酒を解く。

注4:シツ
シツは口永良部島特有の呼び名で通常は「イスズミ」屋久島ではシツオと呼んでいる。
本州中部以南に分布し、浅海の岩礁域に生息する。沖縄ではきわめて魚影が濃く、メジナ釣りの外道としてうるさいほど釣れる。最大級は体長70㎝に達し、アタリ、引きともにメジナそっくりでその釣趣はなかなかのもの。冬場は褐藻類を食べる為、臭みが少なくなり美味となる。

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20日目:9月28日(水) 雨のち晴  (寝待住民勢揃い)

 早朝久しぶりに雨が降った。午前中、寝待のバッチャン2人が、本村集落で居住する家族を伴って帰ってきて、久しぶりに集落が賑わいを見せている。と云っても5~6人ではあるが。

 湯治小屋・1号室の前原さん夫婦も昼に帰ってきた。

 前原さんは湯向(島の東側集落)出身であるが、土地家屋を売り払って島を離れたので、Uターン後は湯治小屋・1号室で居住していたが、小屋を売る人がいたので、旧道脇の小屋を50万円で購入。

 今日は、購入した小屋内部の補修をする為早く帰って来たらしい。大工仕事を含め、何事も自分でしなくてはならないのが、島の実状である。

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21日目:9月29日(木) 雨  (湯治小屋・漏電?)

 昨夜は一時雨足が強くなり、強風で舞った砂が部屋に入ってきたかと思うと、隣から、ゴソゴソ・ガタガタと音がする。

 隣の3号室は空室なのに。時計を見ると10時。まさかと思うが、年寄りだけの集落内に不審者が侵入すれば大変なので、様子を見る為3号室に行くと、1号室の前原さんが居た。

 事情を聞くと、「雨が降り出したとたんに停電になったので、湯治小屋のブレーカーBOX(注5)が設置されている3号室に来たが、ブレーカーが下がっており、入らない」との事。

 全4室のコンセントを抜くと、ブレーカーが入った。

 思いがけない夜間のハプニングだったが、ブレーカーが3号室に在ることが分かったことが収穫だった。

 4時の起床時は、星空が見えていたが、風呂から出る頃には雲が出て、今日は雨が降ったりやんだりのうっとうしい天気が続く。

 本村港は波が高く、フェリー太陽は欠航しているので、今日の商品の入荷は無いので、買い出しには行けず、1日中部屋で過ごす。

 夕方、バッチャン達から、魚やイモ、ケーキを頂く。
 
注5:ブレーカー
電気のつかいすぎ(過負荷)や、ショート(短絡)により回路に過電流が流れると自動的に電気を遮断する機器を云う

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22日目:9月30日(金) 曇のち晴  (欠航丸・面目躍如)

 8時に買出しの為本村に向かう。入荷日の昨日、フェリー太陽は欠航していたので、期待はしていなかったものの、何か買うものがあるのではと思いAコープに入るが、見事に何もなかった。

 欠航丸と揶揄されるフェリー太陽は本日も欠航。2日連続の欠航で、面目躍如か?

 屋久島の島民が、口永良部島のひなびた温泉地に魅力はあるが、帰りの便が定かでないので、行くに行けない状態とこぼしていた事が脳裏をかすめた。

 食料品の調達は諦めて、羽生商店で、寝待湯治小屋・1号室の前原さんの引っ越し祝い用に焼酎・三岳を買って帰る。

 昼からは、前原さんの引っ越しの手伝いをして過ごす。

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23日目:10月1日(土) 晴  (後境・進入路探索2回目or引越しパーティ)

 今日は、26日に続き2回目の後境・進入路造りに出掛ける。

 前回切り開いた、電波塔に通じる道は、昔の道跡と判ったので、今日は、新たな道づくりをするつもりで、9時から作業を開始。

 年寄達の情報から、小川を1度渡って、渡直して、谷筋の先に後境があるとの事なので、小川を渡り返す地点を数か所チェックし、竹を掃い前進するが、谷筋に通じる道が造れない。何処に行っても途中から登りになってしまう。

 何度も行ったり戻ったりを繰り返すが納得できる道が出来ないので、2回目の作業も途中で断念する。

 夕方から、湯治小屋・1号室から新居に引越した前原さん宅でパーティー。

 バッチャン達が作った料理が並ぶ。豪勢。特に、鹿肉料理が気に入った。料理と云っても、鹿肉を細切れにしてお湯で煮込んだものを、焼肉のタレで食べるだけ。

 鹿肉は、屋久島で食べたが、ただ不味かった体験があったので、びっくりする。

 宴席には、料理を作ったバッチャン2人と前原さんの同級生の国重さん、発電所に勤務する一郎さん、90歳の田代のジッチャン、湯治小屋・2号室の種子島の太田さん夫婦。

 女性人以外は、酒豪揃い。国重さんの三味線で歌う珍しい島歌(注6)を聞いて、早めに引き揚げる。

注6:口永良部島・島歌
1 ここで一生住めたらいいと
  流れ流れて来たけれど
  汗にまみれて生きれども
  竹の子しゃしゃんぼへきんこ釣り
  棒踊りは勇ましく
  口永良部島よいとこ一度はおいで
  人情暑き島だから
2 竿の先にあまめをつけて
  海を見つめてたらすけど
  東に屋久島硫黄島竹島黒島
  西の湯寝待湯向の湯ノ花
  体の芯まで温かく
  口永良部島よいとこ一度はおいで
  人情厚き島だから
3 たとえどんなに離れていても
  たとえどんなに小さくとも
  自然のあふれる口永良部が好き
  俺には口永良部が最高の島
  たとえどんなに台風が来ようとも
  心のふるさと口永良部が好き
  たとえどんなに岳が吠えようとも
  心のふるさと口永良部が好き
しゃしゃんぼ(ブルーベリーの原種)
「小小ん坊」と書き、ブルーベリーの原種で、山に自生。ブルーベリーよりも酸味があり、小粒で1月頃に実る。
へきんこ(魚・オヤビッチャ)背側が黄色く5本の黒色横帯を持つことが大きな特徴。
※島から、屋久島、硫黄島、竹島、黒島は勿論、鹿児島本島の開聞岳、佐多岬が見える

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金岳小学校・金岳中学校山海留学実施要項
緑の火山島『南海ひょうたん島山海留学』
口永良部教育振興推進協議会
1 目的
この制度は,屋久島町立金岳小学校・金岳中学校に入学または転学を希望する児童・生徒に対し,校区内の受け入れ保護者(以下「里親」という)の協力を得て,豊かな自然環境の中で相互の教育効果の向上を図ると共に,教育の振興充実を期することを目的とする。
2 募集基準
この制度により受け入れる児童・生徒は次の通りとし,口永良部教育振興推進協議会が面談の上決定する。
(1) 在籍校の学校長や担任等との相談等を確実に行い,地域の環境を理解し,就学を希望する児童・生徒
(2) 豊かな思い出と創造により第二のふるさとを求める児童・生徒
(3) 口永良部島の大自然の中で伸び伸びと生活しながら,学習や体験を希望する児童・生徒
(4) 小学校1年生から6年生までの児童及び中学校1年生から3年生までの生徒(ただし,小学校低学年および中学校3年生は,発達段階や進学等の関係で受け入れができない場合もある。)
3 留学期間留学期間は原則として当該年度4月から1年間とするが,継続も可能とする。
4 募集期間原則として当該年度4月1日から9月中旬までとする。
5 契約事項
この制度に適合し,受け入れを決定した実親及び児童・生徒は,次の各項を実行するものとする。
(1) 校区内に児童・生徒の住民登録をする。
(2) 健康保険証を持参する。
(3) 口永良部教育振興推進協議会立ち会いの上で,里親との契約を締結する。
(4) 寝具は持参する。
(5) 期間中,なるべく電話の使用を避ける。(携帯電話を持たせない。)
6 経費
物価その他を考慮して,口永良部教育振興推進協議会が額を決定する。
(1) 里親委託料は,小学生月額6万円,中学生月額7万円とする。ただし,募集期間内に契約を締結した場合は一人当たり3万円の助成金があり,その助成金を差し引いた金額を毎前月25日までに口永良部教育振興推進協議会に納入する。
(2) 給食費(現在小学生2900円,中学生3300円)は,実親が毎前月25日までに口永良部教育振興推進協議会に納入する。
(3) PTA会費(現在500円)は,里親が学校に納入する。
(4) 学校教材費,学用品費,宿泊学習・修学旅行費,特別活動費,医療費,衣料費,小遣い等,児童・生徒にかかる経費は実親の負担とする。

振込先屋久島農業協同組合上屋久支所
口座番号普通0000639
名前口永良部教育振興推進協議会長

7 里親とその義務
この制度を理解し積極的に支援する意思のある家庭の中から選定し,口永良部教育振興推進協議会が里親として委嘱する。委嘱された里親は実親と連絡を取り合い,児童・生徒を家庭的に養育し健やかな成長に向かい努力するものとする。なお,親子留学・家族移住等の場合には,里親を置かないことも考えられる。
8 事故発生時の処置
(1) 病気または何らかの事故が発生した場合は,その実情に応じ里親が適切な処置をとる。
(2) 里親は実親に遅滞なく連絡し指示を受けるとともに,口永良部教育振興推進協議会にも連絡する。
(3) 必要に応じて,口永良部教育振興推進協議会が立会い,または協議して善処する。
9 帰省夏休みや冬休み等の長期間の休みには帰省するものとし,実家との往復については,実親の責任において行うものとする。ただし,児童・生徒,実親,里親の話合いによっては,滞在することも可能である。
10 解約
次の事項に該当する場合は,口永良部教育振興推進協議会立会いの上で協議し,解約することができる。
(1) 児童・生徒の問題行動等により,指導監督が困難であると判断したとき。
(2) 里親委託料の不納及び契約違反が生じたとき。
(3) 家庭の事情等により解約希望が出されたとき。
11 その他
この要項に定めるものの外は,実親,里親,口永良部教育振興推進協議会が協議して善処解決を図るものとする。
12 問い合わせ先
屋久島町立金岳小学校(TEL:0997-49-2141)
屋久島町立金岳中学校(TEL:0997-49-2186)
附則
この要項は,平成18年4月1日から適用する。

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写真

写真は和坊流宇宙(http://www.justmystage.com/home/kazubo/)の和坊放浪記:口永良部島編part3でご覧ください。


続く・口永良部島編part4


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2008年12月 9日 (火)

口永良部島編:part2


和坊放浪記・口永良部島編part2


平成17年・備忘録


 項目

■寝待温泉・湯治小屋
  7日目:9月15日(木) 晴  (寝待集落周辺散策)
  8日目:9月16日(金) 晴  (古岳登山)
  地図1:古岳周辺地図
  9日目:9月17日(土) 晴  (口永良部島・初シュノーケリング)
  地図2:寝待集落地図
 10日目:9月18日(日) 晴  (旧道・寝待線整備)
 11日目:9月19日(月) 晴  (ウミガメと遊泳)
 地図3:美浦海岸・西の浜周辺地図
 12日目:9月20日(火) 晴  (西の浜散策) 禁酒
 13日目:9月21日(水) 晴  (徒歩でAコープ買出し)
※本文中赤字は写真あり
写真

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■寝待温泉・湯治小屋


7日目:9月15日(木) 晴  (寝待集落周辺散策)

 フェリー太陽が着岸する本村港から寝待温泉のある寝待集落に行くには、一周道路の田代地区の寝待分岐から、平成12年3月に開通した口永良部島林道・寝待線を利用するが、開通前は、旧道を利用していた。

 旧道は、湯治小屋横の給水塔先(駐車場側)から、山側に入る道がある。

 道路幅1,5m弱のコンクリート舗装道の急登り坂。台風の影響か、道路わきの竹藪が倒れ道を塞いで歩き難い。

 道路を塞ぐ竹を掻き分け、途中岩が崩れ道を塞いでいる場所を通り、約400m登ると、車両が通行できる道路に出た。

 ここが旧道である。車が何台か駐車出来るスペースがある。

 ここからは緩やかな上り坂が続くが、この道路も竹が道を覆っており、道路の一部には苔が生えており、殆ど使用していない様子が窺えた。

 駐車場から、1,2km程歩くと、T字路角にアンテナ施設の在る一周道路に出た。

 この場所は、9月11日に湯向温泉散策に出掛けた時に通過した、旧寝待分岐である。

 この旧道を利用できれば、湯向温泉方面に行く場合、寝待新道を利用するより約4km近道だが、道路を覆う竹の除去をしなくてはならない。

 こんな事を考えながら、一周道路を歩き、湯治小屋・1号室に居住する、田代地区に在る前原さんの牛小屋を訪問したが夫婦ともに不在だったので、田代の寝待分岐から、口永良部島林道・寝待線を散策しながら帰ることにする。

 寝待温泉に行く道の途中には、何年か前の台風被害により、道路が陥没した場所を迂回する応急処理をしたままの場所や、広範囲に渡る崖崩れ跡も見られ、急な下り坂の路面には、小さな石が散乱、自転車での走行は神経を使う道でもある。

 寝待線の中間位に、小さな水路が在り、その水路を跨ぐようなヘアピンカーブ(急カーブ)の先に二股分岐があったので、左側のデコボコ砂利道を入る。

 この道も、竹が道路に覆いかぶさり、跨いだり潜ったりしながら進むと突き当たり、建物跡がある。

 道はL字型に下り坂になり、その先に堰堤と云うか小さなダムで道は途切れていた。

 背丈の低い雑木が茂る中に踏み跡があり、ダムの下の小川に出られそうだが、スリッパ履きなのでこれ以上の散策は残念して引き返す。

 寝待集落に帰り、温泉裏手の岩場の散策。

 温泉横には防波堤が築かれており、その上を歩いて岩場に降り、半島になっている先端方面に行くと、切り立った崖の上からロープが垂れ下がっている。※防波堤は、後日嵩上げ工事が実地された。

 半島の反対側に行くには、このロープ伝いに行く以外廻りこむ道は見当たらないので、ロープを伝って崖の上に行くと、直ぐに下って、海沿いの岩場になっており、50m程先にも崖が横たわっている。

 その崖にもロープが下がり、ふたつ目の崖を超えると、海側の岩場と崖の間が潮溜まりになっており、釣り場の様子なので、引返す。

 湯治小屋に帰ると、3号室に男性2人組の湯治客がやってきて、土産を持って挨拶に来た。

 1人は、尼崎(兵庫県)の製紙会社の役員を退き、神戸の家具会社に勤務していた77歳の男性。他の一人は、神戸在住66歳の椅子の皮張り職人。職人の妻が屋久島一湊出身なので、今回口永良部島にやって来たと、丁寧に自己紹介された。

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8日目:9月16日(金) 晴  (古岳登山)


地図1:古岳周辺地図
古岳周辺地図

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 朝風呂に入ってから、本村港から山頂を見ることのできる古岳(注1)登山に出掛ける。

 一周道路を本村方面に走り、前田集落(注2)方面に左折して、前田集落を通過し、向江浜(むかいはま)集落(注3)の外れに、新岳(旧道)登山口と書かれた小さな看板が目に付き、下車して、道を確認するがあまり利用されていない様子だったので、先に進む。

 ここから、約1,5km南に走ると、左側(山側)の視界が開け砂防ダムが現れた。

 自転車を止め、見上げると、礫石(れきせき)地帯の先に新岳らしい山がみえる。ここから、入山可能と思ったが、本日は確実な登山道・七釜からにする。

 この場所から、約6km弱走って、目的地の七釜集落跡(注4)に到着した。

 七釜集落跡登山口は、口永良部島3日目の湯向集落散策の帰りに寄ったので、これで、一周道路を完走したことになる。

 登山口には、七釜集落跡の説明板が設置されており、看板向かい側が登山口。

 手作りの小さな案内板に従いスダジイを主とする照葉樹林(注5)の中に入り、赤いテープを頼りに進んで行くが、途中からテープが見当たらない。

 不安になって引返すと、入口から5~60mの窪みの山側にテープを発見。ここから、急な登りになっている。

 この登りから、古岳火口手前までは、無数のテープが付けられ迷うことは無いものの、ヒサカキ群落の登山道は足元が見えず、歩き辛い。

 約1時間後、リボンの目印の在る道が途切れ、荒涼とした風景が広がる。ここからは、リボンは勿論、道標は無い。

 取敢えず、少し前進して、後ろを振り返り、リボンの在る下山口の地形をスケッチする。

 帰路を確認して、石積み沿いの道を前進すると、大きな岩が現れたので、その岩を目印に砂礫の中を登って行くと、古岳火口の東の縁にでた。

 眼下には、古岳火口底斜面からもくもくとガスが噴出している様子が見える。

 火口底に降りて、噴出口近くに行くと、シュー・シューと音をたて火山ガスが噴出し、周辺には硫黄臭が漂っている。

 大正年間から昭和初期にかけて硫黄の採掘が行われていた形跡が窺われた。

 町営牧場が見渡せる場所で、持参のおにぎりで昼食をする。

 昼食後、古岳頂上から、新岳方面を見ると、ガレ場に3人の人影が見えた。

 3人の登山者は、ガレ場を登り切り、新岳の火口壁に登頂した様子が窺える。手を大きく振り続けていると、登山者も気が付いたのか手を振ってくれた。

 彼らは、一周道路の向江浜集落からの新岳(旧道)登山口か砂防ダム側から入山したと思われる。

 古岳火口縁から新岳方面の稜線に向かうが、強風で、細い稜線から吹き飛ばされそうになったので、今回は新岳登山を諦め引き返す。

 どちらにしても、七釜登山口以外の登山道のある事が確認できたのは収穫だった。

 帰途、本村のAコープで、チーズとそば麺。羽生商店で、ビール2ケース(6本×2)と焼酎・三岳を買って寝待に帰る。

 夕方、2人のバッチャンと1号室の前原さんから、かき揚げやイモサラダ、焼き芋等の差し入れがある。

注1:古岳
約1万3000~1万1000年前にかけて、野池火山の南側で、現在の古岳火口付近からマグマによる噴火が頻発し、口永良部島最高点(657m地点)はこの時期に形成された。
また、噴気地帯では,大正年間から昭和初期にかけて硫黄の採掘が行われていた。

注2:前田集落
本村集落から南へ1kmほど向かった高台にあり、6世帯が居住している。
集落内に、素泊り民宿・夕景 (ゆうけい)0997-49-2133 3,500円 がある。

注3:向江浜(むかいはま)集落
前田集落から400m程南へ向かったところにあり、1世帯が居住。集落には、2005年5月に閉鎖された採石場跡と本村港の赤い灯台がある。
昔は、硫黄精錬施設が集中していたが、1935(昭和15)年、大規模な土石流が発生し,死者5名の被害を生じたとの記録がある程、新岳の噴火による二次的被害の発生する地域でもあるので、住居地としては適さない集落である。

注4:七釜集落跡
明治末期から昭和9年まで存在した集落で、硫黄精錬で7つの釜があったのが名前に由来。
全盛期は四十戸前後の住人がいたが、昭和8年12月24日の新岳爆発で、死者8名、重軽傷者26名、焼失家屋38戸の被害を受け、昭和9年1月11日の再度の新岳爆発で壊滅した。※七釜集落跡の解説板より

注5:照葉樹林
森林を構成する主要樹種により,広葉樹林,針葉樹林と分類し、両者が分布する混交樹林もあるが、照葉樹林は、広葉樹林のほうに入る。広葉樹林を落葉性のものと常緑性のものに分けると。照葉樹林は広葉樹のうちの、常緑性の樹木である。
広葉樹は、サクラやカエデ、シイ、カシなどのように幅広い葉を持つ木を指し、さらに、カエデのように秋に葉を落とす落葉広葉樹と,シイやカシのように葉を落とさない常緑広葉樹がある。針葉樹は、マツやスギのように細長い葉を持つ木。
また、日本の山林の針葉樹林と広葉樹林の全体面積を比較すると、半々であるが、人工林と天然林の分類では、人工林ではスギ、ヒノキ、カラマツなどの成長の速い、建築材に向いている針葉樹が意図的に植えられているから、針葉樹が主要樹種となり、針葉樹林が9割以上を占める。一方、天然林では、主要樹種は広葉樹となり、広葉樹林が8割以上を占めている。

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9日目:9月17日(土) 晴  (口永良部島・初シュノーケリング)


地図2:寝待集落地図

寝待集落地図

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 寝待集落の矢野・森脇の両バッチャンは、15夜祭、敬老の日、彼岸と続くので本村集落の本宅に帰った。帰り際に、茹で卵や納豆、キャベツ等を貰う。

 午前中は、ゴミ焼却場を作る。

 昼食後、口永良部島に来て初めてのシュノーケリング。

 立神岩の割れ目に入り、コバルトブルーの神秘的な洞窟を通り、集落海岸沿いから、温泉先の岩場を巡る。

 魚影の濃い海中に驚嘆すると同時に、海中に小さな気泡が湧いている場所があり、近づいて行くと海底から何かが噴き出ている。

 その近辺は温かい。海中温泉だった。寝待先(温泉の奥の岩場)から立神岩間に3~4か所の海中温泉噴出個所が確認された。

 2時間程度のシュノーケリングをしてから、温泉に入浴して湯治小屋に帰る。

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10日目:9月18日(日) 晴  (旧道・寝待線整備)

 今日は、湯向方面に行く際の近道である、旧道・寝待線の整備をすることにした。

 旧道は、竹が路面に倒れ通行を妨げているので、竹の除去作業。

 矢野・森杉のバッチャンは不在だが、道具類の使用は事前了解を得ているので、矢野のバッチャン宅からカマを、森杉のバッチャン宅からは、ナタを借りて、除去作業を開始する。

 ナタやカマを持つのは初めての事。9時に作業を開始したが、腕が上がらなくなったので、12時に作業を中断して温泉入浴。

 温泉でマッサージ等を施すも、腕の状態は改善せず、本日の作業は中止。

 でも、9時から3時間の作業で何とか通行出来るようになった。

 夕方、1号室の前原さんから、海ウナギ=エラブウナギ獲りに誘われる。海ウナギと云ったので、ウツボの事かと思ったが、よくよく聞いてみると、エラブウミヘビ(注6)の事と判ってお断りする。蛇は大嫌い。

 エラブウミヘビはこの時期の満月の夜、産卵の為、毎回同じ岩場にやってくるので、穴の中に手を差し入れ捕獲するらしい。産卵場所は湯向集落の岩場との事だった。

注6:エラブウミヘビ
ウミヘビには昼行性と夜行性の種があり、夜行性のものには沖縄でエラブー(イラブーとも云う)と呼ばれるコブラ科の蛇。強い神経毒はコブラの10~20倍と云われるが、顎は他のヘビの様に大きく開けることが出来ないので、指を無理やり口の中に入れない限り咬まれることは無い。
そもそも、エラブー(イラブー)は、不老長寿・回生回春の万病薬として、琉球王朝時代より宮廷料理に用いられ、秦の始皇帝が不老不死の薬としてエラブウミヘビを求めたという説があるぐらい珍重されていた。
現在、エラブー(イラブー)の捕獲地として、最も名高いのが、神の島とも呼ばれる久高島(沖縄県)で、丸ごと一匹を燻製にし、棒状と輪になったものを製造しており、沖縄の国際通りや牧志公設市場等で1~2万円で売られている。また、高級料亭などで、エラブー(イラブー)汁が提供されている。
エラブー(イラブー)汁の作り方(1匹=10人分)
①エラブー(イラブー)に付いたススをタワシで洗い流す。
②大きめの鍋に水とエラブー(イラブー)を入れ、中火で煮て、柔らかくする。
③1時間ぐらいで鍋から出し、長さ5~6cmに切る。
④切り身を昆布で包みタコ糸で結び、鍋に入れ弱火でアクを取りながら3時間煮る。途中、水分が減ったら、水を足すこと。
⑤火を止め、一晩寝かす。
⑥テビチ(豚足煮)・結んだ昆布と一緒に3時間煮込み、最後に醤油・塩で味付けする。

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11日目:9月19日(月) 晴  (ウミガメと遊泳)

 今日は美浦海岸にシュノーケリングに出掛ける。

 美浦海岸は、西の湯から50m程北に位置する小さな漁港で、道路から海岸に入る道には廃船が放置されており、海岸には、船の陸揚げ場(コンクリート道が海の中まで入っている)と船着場がある。

 船着場には、ウェットスーツを着用し首から水中ボード(海の中でメモできる)をぶら下げた、男女数人の若者が居た。

 彼らは、広島大学大学院・海洋研究所の大学院生で、前田集落に民家を借りて集団生活をし、亜熱帯魚類の生態研究をしているとの事で、ここ、美浦海岸周辺を研究ベースにしているらしい。

 彼らと一緒に海に入りシュノーケリングをする。海そのものは、寝待の方が綺麗だが、美浦海岸船着場から、右(北)側に20~30m行った所の岩場付近でウミガメを見た。

 屋久島のいなか浜に産卵に来る様な大きな亀ではなく、小振りの亀が泳いでいる。それも3匹(3頭と云うのか)も・・・自分の後を追うような感じで泳いでいる。

 広島大学大学院・海洋研究所の大学院生曰く、「屋久島のウミガメは、アカウミガメだが、ここの亀はアオウミガメで3匹も同時に見るのは珍しい」との事。

 ウミガメと一緒に泳いだ満足感を持続しつつ寝待に帰る。

 湯治小屋2号室に湯治客が来ていた。種子島の太田さん夫婦。毎年この時期に湯治場に来ているらしい。湯治小屋は満室になった。

 夕食時に、2号室の太田さんからチマキ、3号室の人からソーメンを頂く。

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地図3:美浦海岸・西の浜周辺地図
美浦海岸・西の浜周辺地図

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12日目:9月20日(火) 晴  (西の浜散策) 禁酒

 台風14号以降、口永良部島では、夜間や一時的な降雨があったが、雨らしい雨は無い。

 本日も快晴。昨日の美浦海岸に行くが、波が高いのでシュノーケリングは諦め、西の湯の様子を見に行く。

 西の湯は台風14号で倒壊したままの無残な姿を曝していた。

 その西の湯から、本村方面に4~500m行った道路右手の林の中に、小さな手書きの「西の浜」の看板を発見。

 踏み跡を進んだ先に、口永良部島唯一の砂浜海岸・西の浜があった。西の浜はこの道以外に、車が入る道もあるらしいが未散策。

 西の浜で1時間程過ごしてから、本村のAコープで買い物をしてから寝待に帰る。

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13日目:9月21日(水) 晴  (徒歩でAコープ買出し)

 午前中は、湯治小屋から出たゴミを燃やしたり、温泉に行く道の清掃等をして、湯治客から頂いた、チマキや餅をラーメンに入れて昼食をしてから、徒歩で本村のAコープに買出しに行く。

 寝待から一周道路に出て、田代の民宿・くちのえらぶ前の三叉路を右にとり、ヘリポート前から、西の湯を経て、金岳中・小学校前の道を通って行った。

 Aコープは1番乗り。早めに行き、レジカウンターに空の買い物カゴを置いておくと、その順番通りに清算されるので、混雑しても早く帰る事が出来る。と云う買い物のコツを覚える。

 それにしても今日は、何時もの奇数日よりも人出が多い。

 それもそのはず、25日の日曜日は、島民総出の金岳中・小学校合同の体育大会で、平常より需要が多いにも関わらず、次の商品入荷日の23日と25日は祭日と日曜でAコープの休業日。

 特殊事情等お構いなしに暦通りに休業するのは、この島の良いとろろでもあり悪いところでもある。

 事情は兎も角、Aコープ前には、全島民が集まったのではないかと思えるほどの人だかり。

 3時に荷物を積んだトラックが到着するや否や、商品の奪い合いが始まる。今日は何時もより凄まじい。罵声が飛び交う。

 店舗内で唯唯(ただただ)争奪戦を見守るだけ。その内、Aコープの従業員が商品の入った段ボール箱を店内に運び入れてくれる。

 今日は、寝待湯治小屋2号室の種子島のお母さんから、豆腐を頼まれていたので、豆腐と久しぶりに食パンをゲットし、早々に引き揚げる。

 寝待に帰ると、2号室の太田さんが魚介類を沢山獲ってきた。太田さんは種子島の漁師さんで、竹竿の先にヤスを取り付け素潜りで魚を刺す名人。

 太田さんが獲った獲物の内のアワビを頂いたので、昨日に続き禁酒の予定だったが、アワビを肴に焼酎・三岳を飲む。

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■写真

写真は和坊流宇宙(http://www.justmystage.com/home/kazubo/)の和坊放浪記:口永良部島編part2でご覧ください。


続く・口永良部島編:part3


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2008年12月 1日 (月)

口永良部島編:part1


和坊放浪記・口永良部島編part1


平成17年・備忘録


 項目

■口永良部島
 概要
 地図1、2(地図1:位置、地図2:全島)
■寝待温泉・湯治小屋
 1日目:9月 9日(金) 曇のち雨  (屋久島発口永良部島)
 地図3:中央部(寝待~本村)
 2日目:9月10日(土) 曇一時雨  (島内商店状況)
 地図4:本村集落略図
 3日目:9月11日(日) 晴     (湯向集落散策)
 地図5:口永良部島東北部(寝待~湯向)
 4日目:9月12日(月) 晴     (寝待集落詳細)
 地図6:寝待集落略図
 5日目:9月13日(火) 晴     (口永良部島西部散策)
 地図7:口永良部島西部
 6日目:9月14日(水) 晴一時雨  (大掃除)
※本文中赤字は写真あり
写真

________________________________________


■口永良部島


概要

 口永良部島(くちのえらぶじま)は、行政上では上屋久島町(現屋久島町)に属し、永田から西方約12kmに位置し、面積38.04k㎡、周囲49.67kmのひょうたん型をしている、海上に浮かぶ薩摩最大の活火山の島で、10~20おきに噴火を繰り返している(昭和41年新岳爆発)。
★地勢
最高点:657m(古岳)
人口:169人 (2008年現在)
★集落
島の中心は港のある本村地区で、島の人口の大半が集中している。また、役場出張所や商店、学校、ガソリンスタンド等が立地している。
その他、新村、田代、前田、向江浜、湯向、寝待がある。
★火山
口永良部島は、薩南火山郡島最大の火山島(活火山ランクB、噴火警戒レベル1)である。複数の安山岩質の火山からなり特に東側の火山は新鮮な火山で仁田尾山(526m)・三角点山(600m)・古岳(657m)・新岳(626m)があり、現在活動している新岳には山頂に直径200mの火口がある。記録に残る1841年以降だけでも幾度となく噴火しており、このうち1841年と1933年 - 1934年(数回にわたる)の噴火では死者も発生している。
注意:平成20年10月27日、霧島屋久国立公園に指定されている口永良部島では、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられました。このため、口永良部一周林道の南側(向江浜地区~湯向地区)約11kmが通行止めとなり、新岳火口から半径2Kmの範囲が入山禁止となっています。
新岳及び古岳への登山は禁止されていますので、ご注意ください。なお、寝待地区(2世帯3名)・向江浜地区(1世帯1名)の住民に対し避難準備の呼びかけを行っています。
★行政
上屋久島町(現屋久島町)役場口永良部出張所
住民向けの窓口業務の他、フェリー乗船券の発券業務なども行っている。
★医療機関
口永良部僻地出張診療所
★学校
金岳小・中学校 - 小・中併設。「南海ひょうたん島山海留学制度」を実施している。
★郵便局
口永良部郵便局 - 島で唯一の郵便局。
★宿泊
本村・前田・田代・湯向の各集落に民宿がある。
★温泉
西ノ湯温泉(西ノ浜)、寝待温泉(寝待)―立神海中温泉(寝待)、湯向温泉(湯向)
※現在本村温泉あり。
★その他
町営牧場郵便番号 - 〒891-4208(島全域)
市外局番 - 0997
大隅諸島・奄美諸島は全て0997だが、口永良部島のMA(市内通話地域)は島内及び屋久島に限られるため、これ以外の地域に電話を掛ける際は市外局番を付ける必要がある。なお、鹿児島MAおよび県内離島への通話は隣接MA扱いとなる。
かつては燐の採掘で栄え、一時期は人口が2,000人を超えた頃もあったが、国内産業の変化により、徐々に衰退していった。
ヘリポートが設置されており、救急医療の場合は鹿児島市内の病院へ搬送することができる。
島の発電所は、旧金岳小学校の敷地内にある。
三島村各島との交流も盛んに行われている(主に漁船で移動)。
牛が放牧されており、たまに道端で出会う事がある。私設の牧場のほか、町営牧場も設置されている。
エラブオオコウモリが生息している(オオコウモリの生息北限)。
一般には「くちのえらぶじま」と表記するが、島内や周辺地域では「くちえらぶじま」と言う場合もある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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地図1,2

地図1:口永良部島位置地図
口永良部島位置地図

地図2:口永良部島全島地図
口永良部島全島地図
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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■寝待温泉・湯治小屋


1日目:9月9日(金) 曇のち雨  (屋久島発口永良部島)


地図3

中央部(寝待~本村)地図
中央部(寝待~本村)地図
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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 台風14号の影響とドック入りの為、長期欠航していた「フェリー太陽」が久しぶりに屋久島・宮之浦港を出港した日の便に乗船。

 2時間弱の船旅で、15時前に口永良部島・本村港に到着した。

 寝待温泉(注1)・湯治小屋の管理者・公民館長の林さんの電話番号以外、口永良部島の事前情報は白紙状態だったので情報収集の為、港の入口に在るフェリー切符売場の建物(2階は役場)に行ったところ、公民館長の林さんは港に居るとの事だったので、引返し林さんに面会する。

 湯治小屋(5号室)の使用料金は600円(入浴料¥200含む)だが、台風14号の被害で温泉の入浴は不能なので、1日400円の計算で使用することで合意。

 滞在期間が未定なので、島を離れる時に、切符売場にて清算することになった。

 また、島内に3か所在る温泉の内、港から1番近い「西の湯」も台風被害で入浴は不可。入用可能なのは、島の東端に在る「湯向(ゆむぎ)温泉」のみとの事だった。

 取敢えず、食料品の調達の為、本村集落のAコープに行く。

 食料・雑貨を扱う小さなスーパーの店内外は女性が群がり、商品を取り合っている。

 このご時世に、食料品を取り合っている状況に我が目を疑う。

 でも、現実。到底この輪の中に入る勇気は無い。

 3日分の非常食は携帯しているので、食料品の調達は残念、公民館長・林さんに教えてもらった道順で寝待温泉に行くことにする。

 Aコープから、郵便局前を通り、東に進むと、左側に酒の看板のある羽生商店が目に入ったので、店内に入ると、少ないが食料品がある。

 ビール1ケース(6本入り)、チーズ、を購入。一安心。

 寝待温泉へは、羽生商店を東に行き、20~30mの坂を登ると、T字路(郵便局から200m弱)に、ここを右方向に約600m直進すると、三叉路に出る。

 この道路が、島東南部の火山帯を一周する林道の通称一周道路(全線コンクリート舗装)で、右折すると、前田集落から湯向温泉方面。

 この三叉路を500m強直進すると、十字路に出る。

 直進は、西の湯方面なので、右折し、曲がりくねった緩やかな上り坂を道なりにひたすら走る。

 途中、羽生商店で買った大事なビールを落として行くハプニングもあったが、民宿・くちのえらぶ前3差路(十字路から2,4km)を通過し、道の左手に大きな電波塔の先の三差路に出た。(寝待分岐・民宿前から1,7km)

 道路標識は、一周道路直進・湯向。左・寝待温泉。

 やっと目的の寝待温泉へ。道路標識に記載の文字であるが、道中、人は勿論、車にもすれ違うことなく走行したことを考えると、何やらホッとする。

 道路標識に従い、約300mの緩い坂を登り切ると、広場になっている場所から視界が開け、海が見える。

 一周道路を含め、笹藪の中を縫うようにコンクリート舗装道路が続いており、同じ場所を走っているような錯覚に駆られていた矢先の海。新鮮。

 小休止後、今度は急な下りが1,7km程続いた先の目の前に大きな岩(立神)が現れ、寝待温泉入口の駐車場に到着した。(本村から約7,5km・1時間)

 駐車場右手に前方にコンクリート造りのトイレと脱衣所(?)、左手に立神を見て、1m強幅の集落内道路を進むと、左手に公衆電話のある建物が現れた。

 建物には看板は無いものの、公衆電話手前の入口に3号室の表記がある。

 これが湯治小屋とあたりをつけ、声のする海側の部屋(1号室)に「湯治小屋に来た者ですが、5号室はどこでしょう」と声を掛けると、60前後の女性が現れ、部屋に案内してくれた。

 部屋は、6畳一間で、畳はささくれており一部腐りかけている部分は見られるが、古いテレビが置かれ、炊事場にはガスレンジと冷蔵庫の他に、古い炊飯器や鍋、フライパン、食器類が揃っていた。

 案内してくれた女性曰く、調理道具は湯治に来た人達が置いて行ったものらしい。また、温泉は、入口が岩で塞がっているが、脱衣場入口から入浴できると聞く。

 公民館長・林さんは入浴不能との事だったが、集落の人達が、湯船に入りこんだ岩や砂利をかきだし、やっと入れるようになったらしい。

 部屋に荷物を入れ、埃まぶれの部屋を掃除してから、集落外れに在る温泉に行くと、入口は崖崩れの岩で塞がれ、木製ドアーも破損していた。

 防波堤沿いに脇に入ると、脱衣場への出入口があった。

 温泉の外観はコンクリートに囲まれた一見トイレかと思うような造りで、脱衣所から引き戸を開け、手摺の付いた5~6段の階段を降りると、乳白色の湯船がある。

 銭湯のような鏡の付いたシャワーやカラン(水道蛇口)の設備は無く、湯船だけのシンプルな造り。これぞ湯治場と納得する。

 10日前後の滞在予定だが、一月位居つきそうな予感がする。

 部屋のテレビは、NHKと民放1局が受信でき、NHKニュースで、台風14号は九州に甚大な被害をもたらしたことを知る。

注1:寝待温泉
・本村から約8km
・磯場の温泉で、海を眺めて1日居れば時を忘れそう。
・乳白色の湯の花が漂う超一級の良質温泉で神経痛・リュウマチ・皮膚病・胃腸病などに効能
があります。
・24時間 休みなし 1回200円
・TEL 0997-49-2255 (月・木午前のみ) 口永良部島公民館
屋久島ポータルサイトより

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2日目:9月10日(土) 曇一時雨  (島内商店状況)


地図4

本村集落略図

本村集落略図

1、民宿・富田:電話0997-49-2234、大人(一泊二食)6,000円 ※瀬渡しあり。
2、民宿・わたなべ:電話0997-49-2113 大人(一泊二食) 6,000円
3、鎌田商店
4、野元旅館:電話0997-49-2288、大人(一泊二食) 6,000円
5、Aコープ(農協)
6、羽生商店
7、なおみ旅館:電話0997-49-2233、大人(一泊二食) 6,000円
8、民宿・信子:電話0997-49-2207、大人(一泊二食) 6,000円
その他の民宿
※前田・夕景 (ゆうけい):電話0997-49-2133、3,500円(素泊まり)
※田代・くちのえらぶ:電話0997-49-2213、大人(一泊二食) 6,000円 港までの送迎あり
※湯向・恵文(えみ):電話0997-49-2277、大人(一泊二食) 6,000円 港までの送迎あり、瀬渡しあり

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 昨夜は、久しぶりのテレビ鑑賞で、9時迄見てから就寝した。

 夜間雨が降って来たが、今朝は止んでおり、朝風呂に入ってから買出しに出掛ける。

 口永良部島には、本村、新村、田代、前田、向江浜、湯向、寝待の7つの集落が在るが、全島民160余人の大部分は、フェリーが到着する本村に集中しており、島の3商店も本村に在る。

 3店の内、昨日買い物ができなかったAコープは日用雑貨と食料品全般。羽生商店は酒類と食料品を取り扱っており、この2店は昨日回ったので、残るは1店。

 その店は、Aコープから本村港に向かった右側に在る鎌田商店。長年神戸は長田区のゴム会社で勤務ていたと云う、妻に先立たれた中年男性が店主で、店内には、これと要ったものが無かったので、トイレットペーパーを買ってお暇する。

 Aコープに寄るが、食料品は売り切れで何もなかった。担当者からは、商品はフェリー太陽の午後の便で運んでいるので、入荷は奇数日の3時頃と云われた。

 帰りに、羽生商店にも顔を出す。離島値段なので屋久島と比べ高い。ビールで例えると、発泡酒・キリン淡麗(350ml)屋久島・スーパーわいわいらんど¥112→羽生商店¥160。今日は冷えていないビールを買ったら¥152だった。

 しかし、この店では、何と・何と、屋久島では並んで一人1本だった焼酎・三岳が、何本でも購入できる。ビール6本パックと焼酎・三岳(¥1,710)を購入する。

 帰途、西の湯(注2)に寄るが、台風14号被害でぺしゃんこになっていた。

 西の湯から、ヘリポートを経由して、田代集落の民宿・くちのえらぶ前に出て、寝待に帰る。

 夕方、寝待集落のバッチャン(老女)から、笹餅の差し入れがあった。

注2:西の湯
・本村から徒歩15分
・フェリーの着く本村に一番近い温泉で海岸沿いにあります。
・大潮の満潮過ぎあたりが湯量も多いようです。
・神経痛・肩こり・あせもなどに効能があります。
・24時間 休みなし 1回200円
屋久島ポータルサイトより

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3日目:9月11日(日) 晴  (湯向集落散策)


地図5

口永良部島東北部(寝待~湯向)地図
口永良部島東北部(寝待~湯向)地図
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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 昨夜もテレビを見たが、7時を過ぎると目がしょぼつき8時に就寝。今朝の朝食は、昨日バッチャンから貰った笹餅。

 笹餅を食べてから、ご飯を炊きおにぎりを作り、湯向集落の散策と古岳登山に出掛ける。

 自転車にレッドウイングのワークブーツと登山用靴下を積んで、寝待からの約1,7kmの急坂を押し上げ、300m下って一周道路に出る。

 一周道路を右に行くと本村方面なので、左に取る。

 曲がりくねった笹藪を突き抜けるようなコンクリート舗装の一周道路を3,6km程走ると、アンテナ施設角の三叉路に、寝待温泉の道標があったので左折をするが、道路両脇の竹が覆いかぶさる様で、路面は所々苔が生い茂り、長年使用していない感じの道なので引返し、一周道路に戻る。

 この三叉路を旧寝待分岐と命名する。

 この旧寝待分岐から、約2、8km先の右手に、大規模な落石防除堰堤工事現場を通過し、50mで3差路の湯向分岐に出る。

 一周道路は右折なので、直進して坂を360m程下った十字路を右折200mで、湯向集落(注3)を見下ろす場所に出た(直進してもUターンして同じ場所に出てくる)。

 この場所も台風14号による崖が崩れていた。

 湯向温泉(注4)も建物奥の天井部に被害個所があったらしいが、温泉そのものは被害は免れたらしい。

 今日は、この後に古岳登山を予定しているので入浴はせずに、集落と港を見てから、古岳登山口の在る七釜に向かう。

 来た道を引き返し、湯向分岐から左折して一周道路に入り七釜集落跡に着き、登山開始とワークブーツに履き替えようとしたところ、靴下の片方が無い。

 靴下を靴の中に入れて、自転車の後部荷台にくくりつけていたので、途中で落ちたらしい。

 本日の登山を断念し引き返す。途中道端に靴下を発見したが、そのまま寝待温泉に帰る。

 寝待到着は14時前、温泉に入って、ビールを飲んで、6時に就寝する。

注3:湯向集落
口永良部島の東端に位置し、屋久島に一番近い集落で、廃屋を含め12軒の家屋と民宿・恵文(えみ)がある。
湯向港は、平成14年に、本村港同様400トン級の船舶の寄港可能港となっている。
なお、集落内には、以前ヤマハリゾートが開発途中で頓挫した飛行場跡もある。
注4:湯向温泉
・本村から約15km
・湯向集落にあり、四六時中澄んだ湯が湧いており、石で作りあげた露天風呂もあります。
・島内3ヵ所の温泉の中で男女別々の浴槽があるのはここだけです。
・神経痛・皮膚病などに効能があります。
・24時間 休みなし 料金1回200円
屋久島ポータルサイトより

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4日目:9月12日(月) 晴  (寝待集落詳細)


地図6

寝待集落略図
寝待集落略図

1、40歳前後男性宅 2、空・本村在住者小屋 3、空・後日前原さん居住 4、矢野宅 5、空・本村在住者小屋 6、森杉宅 7、空・大阪在住者小屋 8、空・本村在住者小屋 9、空・新村牧場小屋 10、空・鹿児島在住者小屋 11、空・元町長小屋 12、空・田代のジッチャンの小屋
※公民館管理の湯治小屋は4室有。海側が1、2号室。通路側は3,5号室。使用料金に差があり1号室¥500、2号室450¥、3・5号室¥400で入浴料が¥200プラスされる。
なお、島内での携帯電話の使用可能機種は、ドコモのみ一部地区で使用可。寝待温泉では1号室海沿いで電波受信が出来る。寝待住民は湯治小屋通路側にある公衆電話を使用している。
※集落入口に在るトイレは、鉄筋コンクリート製の立派すぎる建物だが、3年前の台風被害でトイレに亀裂が入っており、女子用は水洗が詰まり使用不可。なお、トイレ入口には更衣室が在り、避難時に使用できるのではないか。
※立神岩手前に温泉が湧いており、一部観光案内では海中温泉との記載があるが、温度が低く入浴には適していない。

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 朝風呂に入ってから、インスタントラーメンの朝食。

 このインスタントラーメンが最後の食品だったので、今日は本村に買出しに行く予定。

 本村に出掛ける前に公民館長の林さん夫婦が、湯治小屋空室(2、3号室)の掃除にやって来たので、10日間の予定を1か月に延長する。

 部屋代は1日400円。入浴料は1日200だが温泉が正常な状態で無いので、温泉前の料金箱に心付けを入れることになった。

 また、長期滞在者のガス料金は1日100円の定額か使用量に応じて清算する二者択一との事で、後者を選ぶ。

 公民館長・林さんに1か月分の部屋代12、000を支払ってから、本村に向かう。

 本村のAコープの商品入荷は、奇数日の午後3時からなので、今日行っても何もないのは解っているが、奇数日の商品の取り合う現場を眼のあたりにしているので、行く勇気が湧いてこない。

 案の定、Aコープには何もない。

 明日の入荷日に買出しの決心をして、今日は米とラーメン、缶詰類、乾麺等を買って帰る。

 寝待に帰ってから、バッチャンと話をする。

 バッチャンは村人から「ミヨばい(ミヨ婆と云う意味か)」と呼ばれている、矢野ミヨさん。ミヨばいと呼ぶわけにもいかないので、“矢野のバッチャン”と呼ぶことにした。

 “矢野のバッチャン”は、本村には子供や孫が居住し、弟や親せきが岩屋泊の北浦地区で牧場を経営しており、また、大阪の交野市に家や墓もあるが、寝待の温泉が好きなのと、糖尿治療の意味もあって、町から家賃250円(1日)、年間地代4、000円で借りて生活している。

 “矢野のバッチャン”によると、そもそも、寝待集落が出来たのは、寝待温泉に3日も入れば傷が治り、飲むと内臓疾患に効能があると知れ渡っていたが、本村からの道が無く、馬や牛に乗って来なくてはならず、各人が町から土地を借りて、小屋を建築したのが始まりで、現在の公民館管理の湯治小屋は、以前寝待の公民館だった建物を四分割に区切ったものであるらしい。

また、現在、寝待集落の居住者は、バッチャン2人と湯治小屋1号室に居住する前原夫婦とトイレ下の小屋に住む独身男性の計5名。

 もう1人のバッチャンの名は“森杉のバッチャン”で、主人は本村に居住して、時折食料品を持って訪ねてくる。

 湯治小屋1号室に居住する前原さんは、湯向出身で、長年大阪や神戸で建築業に携わっていたが、故郷に帰って来て、田代で牛3頭を飼育している。

 トイレ下の男性は、本村出身者で島の土木建築関係の仕事をしている・・・等々、寝待の詳しい状況を教えてもらう。

 夕方には、“森杉のバッチャン”から、ぼた餅2個の差し入れがあった。

 テレビでは、昨日の自民党が圧勝した衆議院選挙の報道一色。

 選挙と云えば、ここ口永良部島が注目されるらしい。と云うのは、全国一早い繰り上げ投票が行われる場所だから(注5)

注5:新聞記事(2005年9月8日・読売新聞)
 鹿児島県上屋久町の口永良部(くちえらぶ)島で8日、衆院選の繰り上げ投票が行われた。11日の投票日を前に、全国一早い投票となった。
 同島は屋久島の西約12キロに位置し、面積約38平方キロ。当日有権者数は136人。へき地保健福祉館と湯向公民館の2か所を投票所に、午前7時から始まった。投票は午後5時まで。
 町選管によると、天候不良となると投票箱が搬送できなくなる恐れがあるため、国政選挙は毎回繰り上げ投票を行っている。選管職員らは投票終了後、チャーター船で屋久島に戻る。
 台風14号の影響も心配されたが、町選管は「投票前に過ぎ去って良かった」とホッとした様子だった。

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5日目:9月13日(火) 晴  (口永良部島西部散策)


地図7

口永良部島西部地図
口永良部島西部地図
地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工

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 昨夜は7時に就寝して、今朝4時に起床。朝風呂に入り朝食時に一時雨が降ったが暫くして止む。天気予報は晴なので、島の西部の散策に出掛ける。

 集落から、寝待分岐に出て、一周道路を右折、民宿・くちのえらぶ前3差路を右斜めに。下り坂を約1,7キロ走り、ヘリポート横の待避壕で小休止。

 測量をしていた男性2人と話をしてから、約1km先の西の湯の様子を窺がってから、坂を登り切ったところの3差路(西の湯から約700m地点で、左折すれば一周道路に出る)を右にとり、150m程行くと、番屋ヶ峰・岩屋泊の道路標識が架かっているので右折する。

 ここから、1,4km程走ると二股に分かれ、右は、番屋ヶ峰・岩屋泊方面。左は、新村方面。

 一旦右方面に行ったが、途中から引き返し、新村方面に向かう。約1、2km先の新村集落には、掛に新村牧場農家民宿の看板が目に付いた以外これと云ったものはなく、何よりも放し飼いの犬がいたので急いで集落を後にする。

 犬に追いかけられないかと思いつつ走行すると、前方に犬ではなく牛が闊歩している。

 牛も、自転車に乗った人間が珍しいのか、こちらを見つめ動こうとしない。

 引き返せば犬が・・・徐々に距離を詰め、牛の脇をすり抜けることが出来た。

 ほっとしたのも束の間、今度は急坂が待ち受けていた。寝待の坂よりも急坂。その坂を登り切ると、T字路に出た(新村集落から約2,4キロ)。

 右は本村方面なので、左折して、下り坂を2,8km程走ると道路が無くなる。前方が岩屋泊と判るが、道が無い。道端にミニバイクが止まっている。

 草むらの中の小さな沢に丸太の一本橋が架かっている。その先の踏み跡を辿ると、海岸に出た。ここが岩屋泊。

 岩屋泊は、南風時の避難港になっているが、港湾施設は見当たらず、一人の男性がシュノーケリングをしていた。道路脇に止めてあったミニバイクの主なのか、話をしようと近づいて行ったが、沖に行ってしまった。

 海岸沿いを散歩すると、洞窟や建物跡らしい痕跡があった。綺麗な海と、美しい景色の岩屋泊。この場所に集落が無いのは、温泉が湧いていないのか・・・水場が無いのか・・・何故なのかと思えるほどの場所だった。

 小一時間休憩をしてから引き返す。新村分岐3差路を過ぎると、左Uターン気味の道がある。その道の突き当たりが番屋ヶ峰。NTTの電波塔が建っている。

 電波塔前に石川県ナンバーのワンボックスが駐車しており、近くに、パラポナアンテナの様な、おわん形機材が設置されている。車には男性3人が居たので話をする。

 この男性達は、午前中ヘリポートに居た男性と同じ会社の人達で、人口衛星からの電波をキャッチして測量をする仕事で、全国を旅しているらしい。

 暫く話をして、「寝待温泉の湯治場に居るので温泉に来た時は声を掛けて」と云って別れる。

 本村のAコープには、2時前に到着。商品は3時の入荷なので、待ち時間を利用して、金峰神社に行く。(地図4:本村集落略図参照)

 金峰神社はAコープから東に行き、一周道路に出る手前に左にUターンする感じの3差路に小さな看板があったので、坂を登って行くと、二股路があった。右手のデコボコの砂利道に入るが、神社らしい建物は見当たらない。

 二股路迄引返し、前進すると、見慣れた道に出た。口永良部島初日に本村港から、寝待に行く分岐の一周道路だった。

 神社道標から一周道路迄の間、分岐道路は砂利道しか無い。

 引き返し、改めて砂利道を登って行くと、草ぼうぼうの先に建物らしいものが見えたので、草をかき分け中に入ると、小さな祠と、海に向かって鳥居が在り、本村港が一望できた。

 金峰神社で参拝を済ませ、Aコープ前で待機。3時前から、住民が集まって来た。その内、寝待集落のバッチャン達も湯治小屋1号室居住者の前原さん所有の神戸ナンバーのクラウンに乗ってやって来た。

 3時になって、Aコープ男性従業員運転のトラックが店舗前に到着し、車が停止するかしないかの間に、女性達はトラックに群がり、荷台から、商品を取り出し買い物籠に入れる。

 凄まじい光景。日本の中で食料品を我先に取り合う光景が見ることが出来るとは、都会ではまず見ることが出来ない貴重な姿。でもこんな島が気に入っている。

 店舗の中で待っていると、従業員が卵とパンの入った箱を持ってきたので、喜び勇んで籠に入れる。思ってもいなかった収穫に大満足をして、ルンルン気分でAコープを後にする。

 寝待に帰って、温泉に入り最高に美味いビールを飲む。

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6日目:9月14日(水) 晴一時雨  (大掃除)

 昨日、湯治小屋5号室に小さな蟻の大群が部屋に入ってきた。これまでは、寝ていると、あまめ(船虫)や脚の長い蜘蛛が顔や首筋に這いまわることはしょっちゅうで、慣れてきたが、蟻は初めての事。
 それに、朝起きると虫刺され痕が目立ち、体が痒いので、本日は大掃除をすることにした。

 畳の上敷きをめくると、畳の一部が腐っていて青色に変色していた個所があった。小屋そのものは相当古く、3年前の台風では、小屋ごと押し流されると云ったことがあったらしい。その時に畳が濡れて腐ってきたのかなと思いながら掃除をする。

 寝待集落ではゴミの収集は無い。生ゴミは海に、その他のゴミは燃やしている。

 大掃除で出たゴミは燃やしたが、生ゴミを海に捨てるのは抵抗があるので、旧道の空地に大きな穴を掘り、この場所に生ゴミを捨てることにする。生ゴミを穴に投棄した上にゴミを燃やした灰を掛けることにする。バッチャン達も賛成してくれた。

 これで、長期滞在の準備完了。

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写真


写真は和坊流宇宙(http://www.justmystage.com/home/kazubo/)の和坊放浪記:口永良部島編part1でご覧ください。

続く・口永良部島編:part2


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