口永良部島編:part4
和坊放浪記:口永良部島編part4 |
| 平成17年備忘録 |
項目
■口永良部島・寝待湯治小屋
24日目:10月2日(日) 曇のち晴 (後境・進入路完成)
地図1:後境周辺
25日目:10月3日(月) 雨のち晴 (寝待集落清掃)
26日目:10月4日(火) 曇のち晴 (新岳登山)
地図2:口永良部島中央部
27日目:10月5日(水) 雨のち晴 (部屋内でテント生活開始)
28日目:10月6日(木) 晴一時小雨 (後境・貝採り)
29日目:10月7日(金) 晴 (寝待集落清掃)
30日目:10月8日(土) 雨のち曇 (屋久島出発準備)
31日目:10月9日(日) 曇のち晴 (水源整備)
本文中赤字は写真あり
■写真
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■口永良部島・寝待湯治小屋
24日目:10月2日(日) 曇のち晴 (後境・進入路完成)
地図1:後境周辺

地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工
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寝待の西側の突起部、釣りと貝採取の岩場・後境の進入路造りを始めて今日で3日目。
昨日は、谷川を渡り直して、その先の谷筋を下る道が判明しなかったので、今日はその続きの作業をする。
谷川を渡って、川沿いを下ると、谷筋から離れ登りになるところまでの道は完成済み。
この場所から、20~30cmの岩の間に涸れ沢跡があったので、そこを進むと、谷川上の狭い道に出たので、この道が正解と直感し、竹を掃いがむしゃらに前進すると、突然視界が開け、海が現れた。
谷川沿いの、腰の高さ程度の竹藪をかき分け進むと、平らな一枚岩と野芝の茂る広場に出た。
広場の前から左手にかけては、沢山の奇岩が並ぶ海岸で、右下に降りた先にも岩場が続いている。
やっと海岸に到着した安堵感からか、体から力が抜け、体がだるく、熱中症的な症状が出てきたので、30分程休憩してから、引き揚げる。
寝待に帰って温泉に入っても体のだるさは消えない。2時過ぎに遅い昼食のざるそばとビールを飲んでやっと元気が出てきた。
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25日目:10月3日(月) 雨のち晴 (寝待集落清掃)
4時前に起床、温泉に行く時にぽつぽつ降り出した雨が、入浴後に本降りになった。
6時前に一旦止んだが、午前中は、降ったり止んだりを繰り返す。
昼から晴れ間が出てきたので、生活水路の整備と、温泉までの道筋と温泉の山側に在る水神を祀る祠に通じる道を清掃する。
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26日目:10月4日(火) 曇のち晴 (新岳登山)
地図2:口永良部島中央部

地図検索サイト;マピオン(http://www.mapion.co.jp/)を加工
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今朝目を覚まし、5時と思って急いで温泉に行って時計を見ると2時30分だった。ゆっくり温泉に入ってから、日課のストレッチをして朝食。
朝食後、新岳(注1)に登る為7時に出発。
一周道路を走り、本村集落手前の前田分岐を左折、前田、向江浜集落を通過して、砂防ダムに到着。
砂防ダムと云っても、コンクリート造りではなく、金網の中に石を入れたもの。ここから、新岳を仰ぎ見ることが出来る。
登山口から、涸れた沢伝いにひたすら登る。ペンキの目印やテープが付いているので迷うことはなく、直線距離で1,5kmのガレ場(岩石がごろごろしている場所)を登ること約2時間で、新岳火口縁に到着した。
火口壁の東縁を辿り北に進路を取る。途中右手に深い割れ目が平行して走り不気味な様相を見せている。
この斜面を通過して、三角点山に到着。眼下に野池の全景を見ながら昼食休憩。
昼食後、野池から下山しかけるが、砂防ダムに自転車を置いているのに気が付き、来た道を引き返す。
下山後、本村の羽生商店で焼酎・三岳とビールを買ってから、Aコープに寄るが偶数日なので何もない。玉ねぎがあったので購入し、寝待に帰る。
注1:新岳火山
数1000年前に古岳火山の北西側山腹が崩壊、9世紀あるいは11世紀ごろに相次いで噴出し出現した最も新しい火山である
新岳火山山頂部には1930年代の噴火によって開口した、直径約250mの中央火口が、また、新岳火山体の東側には1945年(昭和20)の噴火による、南北に伸びる延長約500mの割れ目火口が開口している。
新期古岳火山・新岳火山の成長に伴う火山礫や火山灰の噴出物は,北西部を除く口永良部島のほぼ全域に降下、口永良部島東部の湯向から町営牧場地域にかけては、火山礫を含む火山灰層が2~3 mの厚さで堆積し、また新期古岳火山・新岳火山の山頂火口からおよそ3kmの範囲の地表には,直径数10cm以上の投出岩塊が多数みられる。
☆近年の火山活動
1841年(天保3年)には複数回噴火し,現在の前田集落付近に火山礫が降下したとの記録があり、それ以降1931~35年頃と1966~80年にかけて噴火が頻発しているが全て新岳の山頂火口及びその周辺から発生している。
☆1931(昭和6)~35年(昭和10)の噴火
新岳火口およびその周辺で噴火活動が活発化し、しばしば爆発的噴火が発生。火山岩塊は新岳火口から約2km離れた向江浜集落付近まで到達するとともに広範囲に森林火災が発生し、高温のマグマ物質が放出された。
1932(昭和7)年12月25日の噴火では火口から1.7km東麓の七釜集落に高温の火山礫が多数降下し,集落13戸が全焼。死者8名、重軽傷27名を出している。
また、新岳から北西に流下する向江浜川にはたびたび二次的な土石流が発生。主要な活動が終了して約1年後の1935(昭和8)年4月4日には、向江浜川で降雨による大規模な土石流が発生し、硫黄精錬施設が集中していた向江浜集落が被災、死者5名の被害を生じた。
なお、1934~35年にかけて北隣の薩摩硫黄島火山でも海底噴火が発生し、昭和硫黄島が形成された。
☆1945(昭和20)年の噴火
11月3日、新岳山頂東側に開口した側火口および割れ目火口から発生した水蒸気噴火の降灰は屋久島の栗生まで到達した。
☆1966(昭和41)年の噴火
11月22日には新岳山頂火口から爆発的噴火が発生し、島の南部~東部を中心に降灰があったほか、北側山腹の広い範囲に投出岩塊が飛散した。
新岳火口から約3.5km北方に離れた寝待温泉の海上にまで多数の岩塊が到達し、本村~湯向間の道路が寸断された。また、高温の火山岩塊の着地によって北側山麓を中心に広範囲で山林火災が発生した。降灰は屋久島・種子島まで到達した。
1966(昭和41)年噴火以降新岳の噴火活動は活発になった。1970年代にかけて新岳火口から断続的に小噴火が発生し、新岳火口周辺に投出岩塊を飛散させたほか山麓に少量の降灰をもたらした。
☆1980(昭和55)年の噴火
9月28日には,新岳山頂の東側を南北に走る既存の割れ目火口から噴火し、火口列近傍に火山礫が飛散したほか、南西方向に火山灰が飛散した。
※独立行政法人・産総研(AIST)火山地質図 電子試作版より抜粋。
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27日目:10月5日(水) 雨のち晴 (部屋内でテント生活開始)
3時に起床。朝風呂から上がって暫くしてから雨が降り出した。その雨も7時過ぎには止んだので、8時から、森杉のバッチャン宅の裏山の草刈りをする。
裏山は、旧道に繋がる竹藪とツワブキ(注2)が茂っている急斜面。
この急斜面の草刈りを、足の悪い森杉のバッチャンがするのは酷なので、暇な時にしてあげると約束していたので、本日実施する。
足場の悪い急斜面での作業は、可成りの重労働だったので、本日の作業は午前中で終了し、温泉で疲れを癒す。
朝起きて温泉。疲れては温泉。汗をかけば温泉。泳いで温泉・・・温泉三昧の毎日は極楽・極楽。
午後から、部屋の中にテントを張る。
何故かと云えば、湯治小屋の畳が古く、一部腐っている部分がある関係か、虫刺されが酷く、難儀していたところ、3号室を利用していた神戸の2人組と、2号室の種子島の太田さんが、バルサンを焚いて以来、虫刺されが以前より酷くなり、痒くて寝られない毎日が続いているので、今日からテントの中に寝ることにした。
テント泊は久しぶり。部屋の中でのテント泊も乙なもの。
注2:ツワブキ
ツワブキとはキク科ツワブキ属の多年草。名前の由来は、「艶のある葉のフキ」から転じたもので、沖縄方言では「ちぃぱっぱ」とも云う。
葉の表面には光沢があり美しく、日陰でもよく育つので古くから庭園の下草として利用され、晩秋に花茎を伸ばして一重の黄色い花を数輪~10輪程度咲き、花後はタンポポのような綿毛ができて風が吹くとタネが飛んでいく。
茎を利用して、醤油などで煮込み保存食としたり、昔は、生葉を冷湿布として、また葉を炙り表皮を除いたものを、腫れ物などの外用薬にし、利用していた。
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28日目:10月6日(木) 晴一時小雨 (後境・貝採り)
昨日は6時に就寝。テント泊の効果は抜群。湯治小屋に来て初めて痒みの無い夜を過ごすことが出来た。
しかし、テントの中は暑い。持参のダンロップ製山岳テントの入口の虫よけネットが細かすぎて扇風機の風も入らない。
虫に刺されるか、暑さを我慢するか・・・
2時30分に目覚め、星空観察をしてから、温泉入浴。午前中一時雨が降った以外晴れ間が続く。
湯治小屋2号室から、広めの1号室に移った種子島の太田さん夫婦に、後境の岩場の案内を頼まれたので同行する。
竹林を抜け、野芝の茂った広場から、右側の海岸に降りて、小休止。
24日の後境・進入路完成時は体の調子が悪くて、後境の岩場に行けなかったので、今日は種子島の太田さんと2人で、後境の先端に行く。
種子島の太田さんは漁師だけあって、スパイク付きの磯足袋を履いて用意万端。
後境の先端に行くには、海岸東の崖を回り込むか、崖越えする2通りのコースがあるが、崖越えは波の高い時用と判断。本日の干潮は14時なので、崖を回り込むコースで岩場に出る。
この後境の岩場は、昔から魚影が濃く、大量の貝が獲れる地元民羨望の地と云われるだけあって、岩場には貝がビッシリ。
種子島の太田さんは、波打ち際の岩場に張り付いて、貝の採取に専念している。スパイク付きの磯足袋を履いて為せる技。
この、スパイク付きの磯足袋は島の人の殆どが使用している。岩場は勿論、竹林に入ったり、急斜面の山肌では威力を発揮する便利な履物である。
自分の使用する、レッドウイング製のワークブーツは値段だけ高くて役立たず、特に、岩場ではグリップ力はゼロに等しく何度も転倒しそうになる。
相変わらず種子島の太田さんは、波飛沫を浴びて貝を取っている。特に貝の採取に興味が無いので、近隣を散策する。
後境の岩場から海岸に戻る。太田さんの奥さんが、ニシンゴと云う小さな巻貝を沢山取っていた。
砂浜の無い岩だらけの海岸から野芝の茂る広場に行くと、テラスになるような1枚岩が数か所あり、寝そべって昼寝をする事が出来る。
また、野芝広場の西側に流れ込む谷川を渡った先には、奇岩が立ち並ぶ美しい自然景観が広がる。
個人的見解であるが、この場所は口永良部島一美しい景色が見られる場所と推奨する。日を改めこの場所でキャンプをしたいと思った。
太田さん夫婦は、アナゴ貝、ナガラメ(トコブシ)、亀の手等の貝を大量に取り、寝待集落の人に配ってくれた。お裾分けを受ける。
種子島の太田さんは、島に自生する竹を利用して、手製の銛(ヤス)を作り、素潜りで魚を取る名人で、取った魚を集落の人に配ってくれる。
ここ、口永良部島では、魚介類だけではなく、旬の野菜等も収穫の際には分け与えるのが当たり前の如くに行われ、昔の日本の良き姿を垣間見ることが出来、その度にお裾分けを受ける今日此の頃である。
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29日目:10月7日(金) 晴 (寝待集落清掃)
昨夜は6時に就寝し、5時起床。11時間熟睡する。部屋内のテント泊の効果抜群。
8時から、2日前に草刈りをした森杉のバッチャンの裏山の草刈りの続きをする。午前中に完了。
午後からは、海岸沿いに打ち上げられているペットボトルと発泡スチロールを拾い集める。人が入れる様なビーニール袋に4袋もあった。
湯治小屋2号室に北海道の北見からカップルのハイカーがやってきた。少しは賑やかになるかも・・・
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30日目:10月8日(土) 雨のち曇 (屋久島出発準備)
昨夜11時過ぎに雷の音で目が覚め、雨は本降りになっていた。今朝も雨が降り続いている。
自転車は、待避壕の中に入れてカバーを掛けているが、海風がまともに当たるので金属部の錆びが顕著。明後日には屋久島に出発するので、分解整備をする。
屋久島には、自転車の部品調達と登山靴の購入以外に、海楽園キャンプ場のオーナー大隅さんとの約束を果たす為に訪問する。
約束とは、屋久島に於ける入山時は天候に恵まれず、満足な登山が出来なかった事を知る大隅さんが、「10月に入れば天候が安定する」ので再訪島すればと助言され、大きなテントも預かってもらっている為である。
午後から雨が止んだので、試運転を兼ね本村の羽生商店迄行き、ビールの買い出しをする。
夕方、公民館長の林さん夫婦と家族が温泉入浴に来たので、明後日までの湯治小屋使用料を清算すると同時に10日後の湯治小屋の予約も入れる。
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31日目:10月9日(日) 曇のち晴 (水源整備)
昨夜も6時に就寝。4時に起床して、日課のストレッチをしてから温泉に入り、朝食。
屋久島の出発準備をしているところに、湯治小屋1号室の種子島の太田さんが、「水道が出なくなったので、原因を探る為水源まで行くので手伝ってほしい」とやってきた。
種子島の太田さんは毎年口永良部島に来ているので、簡易水道の水源も熟知しているらしい。
水源は、口永良部島林道寝待線(新道)の駐車場の水路に沿った急斜面の奥にあるらしい。
トイレと水路の間の斜面を登ると、円形の大きな貯水タンクが設置されている。
そのタンクにパイプが接続されているが、タンク内に水は流れてこないので、水源からタンク迄の間に問題が発生した様子。
竹林の中を鎌で払い道を造って前進する。後境の岩場の進入路造りを経験しているので苦にはならないが、急斜面の足場確保に難儀する。
何かにつかまらなければずり落ちる程の急斜面での道造り。
水源に辿りつくまでの中間地点に3か所のタンクが設置されていた。
それぞれのタンクに水が来ていない。
原因は水源にある事が分かった。水源は、急斜面の突き当たりの巨石の下に在った。
巨石の上部に湧水があるらしく、滴り落ちる水を集められるようにセメントで囲った堰が造られ、その上に竹を組んだ蓋があり、その上に石の重しが置かれている。
その蓋を取り除くと、堰の中は、ゴミと泥が詰まっていた。
ゴミ詰まりが断水の原因と判明する。
堰の下部には、口径40~50mmの立派な排水用バルブが設置されているが、肝心のハンドルが付いていない。周りを見ると丸くて赤いハンドルが腐って脱落していた。
仕方なく堰に溜まっているゴミと泥を手で掻き出す。ゴミは完全に取り除いたが、残っている泥は自然に流れ出るだろうと予測し、近くの竹を刈って新しい蓋を作って作業を終了した。
タンクの中には泥混じりの水が流れこんだが、夕方には綺麗な水が出るようになった。
夜は、湯治小屋1号室の種子島の太田さんの部屋で、2号室の北海道北見のカップルを交え、酒を飲む。
明日から10日間の屋久島出張。
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■写真
写真は和坊流宇宙(http://www.justmystage.com/home/kazubo/)の和坊放浪記:口永良部島編part4でご覧ください。
続く・口永良部島part5:屋久島出張編
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