口永良部島編:part19
和坊放浪記:口永良部島編part19 |
| 平成18(2006)年・備忘録 |
項目
■寝待・湯治小屋
251日目:3月 7日(火) 曇のち晴 (空き缶・空瓶処分) 禁酒
252日目:3月 8日(水) 晴 (トレーニング再開・2号室来客) 禁酒
253日目:3月 9日(木) 雨 (出発準備) 禁酒
254日目:3月10日(金) 曇のち晴 (出発延期・温泉清掃)
255日目:3月11日(土) 晴 (見送り・2号室来客)
256日目:3月12日(日) 大雨 (お水取り・出発再延期)
257日目:3月13日(月) 曇 (フェリー太陽欠航・出発不可)
258日目:3月14日(火) 雨のち曇 (フェリー太陽欠航・出発不可)
259日目:3月15日(水) 晴 (後境案内)
260日目:3月16日(木) 雨のち曇 (座禅瞑想専念) 禁酒
※本文中赤字は写真あり
■今日は何の日
3月12日:東大寺・お水取り
(試別火入り、社参、試みの湯、花拵え・燈心揃え、壇供つき、総別火入り、衣の祝儀、香薫、声明大懺悔、参籠宿所入り、大中臣祓、食作法、十一面観音悔過法要、六時の行法、大導師作法(神名帳)、咒師作法、授戒、開白上堂・法要、一徳火、松明作り、大導師作法(過去帳)、数取懺悔、走りの行法、小観音出御と後入、法華懺法、牛玉日、達陀の行法、籠松明、お水取り、達陀帽戴き、お集会、開山堂参拝、解散)
■注
東大寺、法会、十一面観音(観音菩薩・六観音)、練行衆、兜率天、戒壇院、豊島茣蓙、御幣、神仏習合、賓頭盧尊者、八斎戒(六斎日)
■写真
西の湯、西の湯倒壊、西の湯再建、戒壇院、御幣、賓頭盧尊者、釈迦、真竹、松明、籠松明、牛玉札、蓮松明、二月堂、閼伽井屋、お水取り現場、神宮寺本殿、神宮寺・閼伽水、鵜の瀬、達陀帽、東大寺大仏殿、大仏、南大門、阿形像、吽形像、聖観音、准胝観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音・如意宝珠、不空羂索観音
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■寝待・湯治小屋
251日目:3月7日(火) 曇のち晴 (空き缶・空瓶処分) 禁酒
【お勤め】般若心経2返(朝・夕)、写経2巻(朝・夕)、座禅瞑想20分×2回(朝・夕)
寝待集落は、ゴミの収集車は来ないので自己責任で処分しなければならない。
燃えるゴミは、海沿いに石で囲んだ焼却場を作り焼却処分。空き缶・空瓶は本村集落・公民館横の収集場に持参する。
寝待湯治小屋と寝待集落のバッチャン宅の空き缶・空瓶と寝待から本村に到る道路沿いに捨てられた空き缶を拾いながら本村の公民館に持参し処分する。
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252日目:3月8日(水) 晴 (トレーニング再開・2号室来客) 禁酒
【トレーニング】ストレッチ、八段錦、チューブトレーニング
【お勤め】般若心経3返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×3回(朝・昼・夕)
耳の異常が治まったので、今日から、ストレッチ、八段錦、チューブトレーニングを再開する。
昼過ぎ、数か月の赤ちゃんを抱いた若い夫婦が訪ねてきたので、寝待湯治小屋2号室に案内する。
この夫婦は、名古屋出身者の屋久島住民で、3日前口永良部島に入り、西の湯横でテントを張っていたらしい。釣り道具と餌を進呈する。
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253日目:3月9日(木) 雨 (出発準備) 禁酒
【トレーニング】ストレッチ、八段錦
【お勤め】般若心経2返(朝・夕)、写経2巻(朝・夕)、座禅瞑想20分×2回(朝・夕)
昨夜は6時に就寝したのに、朝目覚めたのは6時。12時間も寝てしまった。外は雨。雨の日はよく寝られる。
2号室に来た屋久島住人と話をしていると、屋久島が懐かしくなり、明日、屋久島に旅立つことにした。
自転車にサイドバックを付け、荷物を入れ、夕方には出発準備が完了する。
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254日目:3月10日(金) 曇のち晴 (出発延期・温泉清掃)
【トレーニング】ストレッチ、八段錦、チューブトレーニング
【お勤め】般若心経3返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×3回(朝・昼・夕)
4時に起床。今日は島を脱出する日。ストレッチだけして、最後の温泉入浴。
入浴中、寝待集落住人で温泉清掃を担当する前原さんが入って来た。別れの挨拶をと思っていた矢先、今日の温泉清掃お願いしますと云われてしまった。
今日は10日に一度の温泉清掃日。最近、前原さんの奥さんが腰を悪くしたので、温泉の清掃をしている。
清掃は、湯船の排水栓と排水ポンプ2台を使用してお湯を抜きながら、湯船に付いた湯の花を、デッキブラシで洗い流し、お湯が少なくなると、湯船の底の砂利をホースで洗うと云った作業をする。
時間にして2時間程度の作業で、清掃が終われば出発しようと思いながら清掃をしていたが、温泉清掃が嫌で逃げ出したと思われれば、前原さんに迷惑がかかるので、本日の出発は延期する。
昼過ぎ、2号室の夫婦は明日のフェリーで屋久島に帰る為、西の湯沿いに張ってあるテントへと向かった。
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255日:3月11日(土) 晴 (見送り・2号室来客)
【トレーニング】ストレッチ、八段錦
【お勤め】般若心経2返(朝・夕)、写経2巻(朝・夕)、座禅瞑想20分×2回(朝・夕)
朝のお勤め後、2号室に居た赤ちゃんを連れた夫婦者の見送りを兼ねて本村に行くが、時間が早すぎて誰もいない。誰もいないはず。今日は奇数日なのでフェリーの入港は午後の便。
Aコープで食料品、羽生商店でビールを買って、波止場で持参のおにぎりを肴にビールを飲む。
10日間の禁酒後のビールは格別に美味い。フェリーの入港迄5時間近くあるので見送りを諦め、寝待に引き揚げる。
夕方、車で中年男性が来た。静岡県の漁師の息子で、2号室に暫く滞在するとの事。
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256日目:3月12日(日) 大雨 (お水取り・出発再延期)
【トレーニング】ストレッチ、八段錦
【お勤め】般若心経6返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×6回(朝・昼・夕)
今日12日は東大寺のお水取り(今日は何の日参照)。関西ではお水取りが終わると春が来ると云われるが、口永良部島では朝から大雨。
今日の出発は中止し、座禅瞑想に専念する。
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257日目:3月13日(月) 曇 (フェリー太陽欠航・出発不可)
【トレーニング】ストレッチ、八段錦、チューブトレーニング
【お勤め】般若心経3返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×3回(朝・昼・夕)
今日こそ島を脱出と思っていたが、何と、「強風で波が高いのでフェリー太陽は欠航します」との放送が防災無線のスピーカから流れた。
欠航丸と揶揄されるフェリー太陽は面目躍如(?)で欠航。
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258日目:3月14日(火) 雨のち曇 (フェリー太陽欠航・出発不可)
【トレーニング】ストレッチ、八段錦
【お勤め】般若心経3返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×3回(朝・昼・夕)
今日もフェリー太陽は欠航。
口永良部島を脱出する決意をしてから、意に反して脱出出来ない状態が続いている。
島を出て行くと悪い事が起こる前触れではないかと思い、脱出を伸ばすことにした。
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259日目:3月15日(水) 晴 (後境案内)
【トレーニング】ストレッチ、八段錦、チューブトレーニング
【お勤め】般若心経6返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×6回(朝・昼・夕)
久しぶりの晴れ間。朝のお勤め後、散歩をする為外に出ると、2号室の中年男性が追いかけて来て、釣り場への案内を乞うたので、寝待の西側の釣場で大物が釣れると云われる後境に案内する。
初めての人でも迷わず行けるように、目印を付けてあるので、釣り場まで案内してお先に失礼する。
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260日目:3月16日(木) 雨のち曇 (座禅瞑想専念) 禁酒
【トレーニング】ストレッチ、八段錦
【お勤め】般若心経6返(朝・昼・夕)、写経3巻(朝・昼・夕)、座禅瞑想20分×6回(朝・昼・夕)
昨夜は何時ものように6時に就寝したのに、目覚めたのは朝の6時。よく寝た。
朝のお勤め後、入浴して部屋に帰ると、強風を伴う大雨が降ってきた。たぶん今日はフェリー太陽は欠航だろうと思うものの、暫くは脱出予定がないので、欠航の有無に頓着しなくなっていた。
雨の日の日課になりつつある座禅瞑想に専念する。
酒が切れたので、禁酒をせざるを得ない。
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■今日は何の日
3月12日:お水とり(修二会:しゅにえ)
【概要】
東大寺(注1)二月堂の修二会(しゅにえ)は、お松明(おたいまつ)やお水取りと呼ばれている、日本の仏教寺院で行われる法会(ほうえ注2)の一つで、修二月会(しゅにがつえ)とも云う。
東大寺以外でも、薬師寺、法隆寺、長谷寺でも行なわれており、ずれの修二会にも共通しているのは、本尊に対する悔過(けか=罪の懺悔告白)である。
東大寺の修二会の本行は、3月1日から14日までの2週間行なわれる。二月堂の本尊十一面観音(注3)に、練行衆(れんぎょうしゅう注4)と呼ばれる11人の僧侶が、人々にかわって罪を懺悔(さんげ、キリスト教=ざんげ)し、国家の安泰と万民の豊楽を祈る法要。
もとは、旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味を込めて、「修二会」と呼ばれるようになった。修二会と呼ばれるようになったのは平安時代で、奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれ、これが今も正式名称となっている。関西では「お松明(おたいまつ)」と呼ばれることもある。
【起源】
751(天平勝宝3)年、東大寺を開山した良弁僧正(ろうべそうじょう)の弟子で、二月堂を建立した実忠和尚(じっちゅうかしょう)が、笠置山(かさぎやま・京都府相楽郡笠置町)で修行中に龍穴(りゅうけつ・宇宙の気が満ちた場所)を見つけ、その洞窟に入り、天人の住む天界・兜率天(とそつてん注5)に至り、内院・四十九院の内、天人達が十一面観音の悔過(けか=罪の懺悔告白)を行ずる常念観音院で、生身(しょうじん)の観音菩薩が出現されたのを見て、これを下界でも行ないたいと願った。
しかし兜率天の一日は人間界の四百年に相当し、この行法を人間世界で行うと数百年も掛かると断られたが、千篇の行法も走ってやれば数を満たすと食い下がって許しを請い、752(天平勝宝4)年2月1日、大仏開眼に合わせて、二月堂で悔過(けか=罪の懺悔告白)を修したのが、東大寺二月堂「修二会」の始まりである。
以来、現在まで一度も途絶えることなく今日まで伝えられている伝統行事で、1667年(寛文7年)に二月堂が火災で焼失した時も、三月堂で行われ、また、戦中戦後も続けられた。2009年の3月で1258年、1258回を迎える。
【修二会・行事日程】(*印は閏年の時は翌日)
1、別火(べっか)・2月20日~28日*
1-1、試別火(ころべっか):2月20日~25日*
2月20日:試別火入り
練行衆(れんぎょうしゅう:11名の僧侶)が、世間の火をいっさい用いず、火打ち石でおこした特別の火だけを利用して戒壇院(注6)の庫裡(くり=別火坊・僧侶の居住する場所)に篭もり、一般の生活とは別の世界へ入る。
2月21日:社参(しゃさん:神社に参ること)、試みの湯
社参:練行衆(れんぎょうしゅう:11名の僧侶)が和上を先頭に列を作り、八幡殿、大仏殿、天皇殿、開山堂に参詣し行の安全を祈願する。途中4箇所で平衆がほら貝を吹く。
試みの湯:二月堂の湯屋で、行法中(3月1日~3月14日)に入浴する風呂に、試みに入浴する。
2月23日:花拵(ごしら)え・燈心揃え
仏前に供える花・椿(ツバキ)をたらの木を芯にして400個、南天の実を竹に装飾したもの50個を作る。灯明に用いる燈芯を多数用意する。
2月24日:上七日(じょうしちにち)用・壇供(だんぐ)つき
仏前に供えられる壇供(だんぐ)と呼ばれる餅(厚さ約3cm、直径約15cm)を1000個つく。3月5日にも同数の檀供が下七日(げしちにち)の為につかれる。
2月25日:社参
この日の社参は、娑婆との別れの意味を含んでいる。
1-2、総別火(そうべっか)・2月26日*~28日*
2月26日*:総別火入り
順次入浴し、紙衣(かみこ。和紙で作った衣)を着る。紙衣は清浄な物と考えられており、行の期間中着用する。この期間中は別火坊の大広間の豊島茣蓙(てしまござ注7)の上以外に座ってはならず、私語や土の上に降りることは厳禁で、湯や茶の勝手な飲料も出来ない。
2月27日*:衣の祝儀(ころものしゅうぎ)
紙衣(かみこ。和紙で作った衣)の上に重衣(じゅうえ)という墨染めの衣を初めて着用する。
2月28日*:香薫、声明大懺悔、参籠宿所入り、大中臣祓
「別火」から「本行」へ移行する為、練行衆は持物を全て香を焚いた煙で清める香薫(こうくん)の行事をして、大広間で声明(しょうみょう、節をつけたお経)大懺悔(おおいさんげ)を唱えてから、午後3時過ぎ、戒壇院から二月堂下の参籠宿所(さんろうしゅくしょ:修二会に参加する僧侶の宿舎)へ移動し、日没寸前、食堂(じきどう)の前の通路で、練行衆の役職者である咒師(しゅし)が祓詞(はらえことば)を唱え、御幣(ごへい注8)を振って練行衆を祓い清め、かつ、登廊の入口に注連縄を張り、結界を作って、行法を妨げる鬼の進入を防ぐと云った神道の行事である通称天狗よせと呼ばれる大中臣祓(おおなかとみのはらえ)が行われる。これは、練行衆が行う神仏習合(しんぶつしゅうごう注9)の所作で、修二会本行の開幕を告げる厳粛な儀式である。
2、本行(ほんぎょう)・3月1日~14日
食作法(じきさほう)
3月1日の正午、鐘が鳴らされ食堂(じきどう)で、一汁一菜または二菜の食事(正食)をとる。正食の後はその日は食事をとってはならない。この作法は本行の間、連日続く。
十一面観音悔過(けか=罪の懺悔告白)法要、六時の行法
本行は、六時の行法(ぎょうぼう)と云われ、1日6回お経を唱え、本行期間中(3/1~3/14)続けられ、①13時頃の日中(にっちゅう)、②13時半頃の日没(にちもつ)、③19時頃の初夜(しょや)、④22時頃の半夜(はんや)、⑤23時頃の後夜(ごや)、⑥24時頃の晨朝(じんじょう)に分けられる。六時はそれぞれ独特の節回しをもった旋律で唱えられ、毎日正午に一回食事をとった後、一切の飲食を断って行われる。
また、六時の行法での経文は、1、三礼文(さんらいもん:日中と日没にのみ唱える)2、供養文(くようもん)3、如来唄(にょらいばい)4、散華(さんか)5、呪願(しゅがん:初夜と後夜に唱えるのは大呪願、それ以外は小呪願)6、称名悔過(しょうみょうざんげ)7、宝号(ほうごう)8、観音要文(かんのんようもん)9、五仏御名(ごぶつごみょう)10、大懺悔(おいさんげ:初夜と後夜にのみ唱える)11、小懺悔(しょうさんげ:初夜と後夜以外に唱える)12、破偈(はげ)13、後行道(ごぎょうどう)14、廻向文(えこうもん)等から成る。
この中で最も重要な経が、称名悔過(6)と宝号(7)で、称名悔過(しょうみょうけか:仏の名前を唱える)は、諸仏の名前を唱えた後、十一面観音の姿や功徳を列挙して唱句を斉唱し、一句ごとに礼拝を繰り返す。
宝号は「南無観自在菩薩」を繰り返し唱えるが、繰り返すうちに、「南無観自在菩薩」が「南無観自在南無観自在」となり、「南無観、南無観」と短くなって、最後は「南無帰命頂礼(なむきみょうちょうらい)大慈大悲(だいじだいひ)観自在尊」と厳かに唱え締めくくる。
宝号が終わり近くになると平衆の一人が礼堂に出て五体投地(ごたいとうち:両膝・両肘・頭を地につけ拝する最上の礼法)を行い、懺悔(ざんげ)の心を体で表現する。
大導師作法(神名帳)、咒師作法(しゅしさほう)
毎夜19時頃の初夜(しょや)の時(六時の一つ)に、日本全国60余州に鎮坐する490ケ所の明神と14,000余ケ所の神々の名が書かれた神名帳(じんみょうちょう)を読み上げ、修二会の行法を照覧あれと神々を勧請(かんじょう:神仏を迎える)する。
23時頃の後夜(ごや)の時(六時の一つ)に、須弥壇(しゅみだん:仏像等を安置するために一段高く設けられた、須弥山を模して造られた台)の周りを回りながら、清めの水(洒水:しゃすい)を撒き、印を結んで呪文を唱える密教的な咒師作法(しゅしさほう)の儀式をする。
2-1、上七日(じょうしちにち)・3月1日~7日、本尊「大観音」
3月1日:授戒(じゅかい)、開白(かいはく)上堂・法要、一徳火(いっとくび)
授戒:深夜1時から、和上(わじょう)が食堂(じきどう)の本尊・賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ注10)に自誓自戒した後、練行衆全員に守るべき八斎戒(はっさいかい注11)を読み聞かせて「よく保つや否や」と問いかける。大導師(だいどうし)をはじめ、練行衆は戒の一つ一つに対して「よく保つ、よく保つ、よく保つ」と三遍誓う。なお3月8日にも改めて授戒が行われる。
開白(かいはく)上堂:受戒が終わると、1時40分、練行衆は一団となって二月堂に上堂し、木沓(きぐつ:木をくりぬいて作ったくつ)に履き替え、礼堂の床を踏みならし、内陣(本尊を安置する空間)の扉が開くと、駆け入って、須弥壇(しゅみだん:仏像等を安置するために一段高く設けられた、須弥山(注5のPDFファイル参照)を模して造られた台の周囲を3周し、本尊を礼拝する。
一徳火(いっとくび):2時15分頃、二月堂内の明かりが消され、火打ち石で火をおこす。この火を一徳火と云い、常燈の火種とされる。
開白(かいはく)法要:2時30分、2週間に及ぶ「本行」の最初の行・悔過(けか=罪の懺悔告白)法要を開白法要と云う。
3月1~14:松明(たいまつ)作り、3月8日:籠松明(かごたいまつ)作り
二月堂お水取りの「お松明」で使われる竹を届ける行事を「竹送り」と云い、かつては、竹を奉納したい人が「二月堂様」と書いた札をつけ、奈良に通じる街道に竹を置いておくと、村人や信者達によって二月堂まで搬送されていたが、その様な風習が消えて久しく、昭和53年頃に京都田辺の「山城松明講」が、この竹送りの行事を復活させ、毎年2月11日に竹送りの行事を行い、お松明に使われる一部(10本前後)の真竹を奉納している。
近畿一円から調達した竹の中から、お松明で使用する本数を、当日に食堂(じきどう)東側の広場等で、松明を担ぐ童子(世話役)自ら、竹の軸に杉の葉をさして作る。3月1~11日と13・14日に使用する普通の松明は、1日10本で、長さ約6m、重さ約60kg。
12日に使用する特大の籠松明(かごたいまつ)は、毎夜上がる松明より一回り大きく(長さ約8m、重さ約80kg)、本行が後半の下7日(げしちにち)に入った3月8日に作られる。
同日、午前9時頃から、練行衆の世話役の童子(どうじ)が、自分が担ぐ籠松明を観光客が見守る中、京都、滋賀、愛知県や生駒市等から集められた長さ6mほどの根付きの竹の先端に、杉の葉を詰め、椹(さわら:檜に酷似した常緑木)の薄板で籠目状に仕上げ、藤蔓(ふじづる)で縛った直径1m程の大きさの松明を2時間半程かけて11本作る。
3月5日:大導師作法(過去帳)、下七日用・壇供(だんぐ)つき(2/24日に同じ)
3月5日と12日の2回過去帳読誦が行われる。過去帳では聖武天皇、歴代天皇、東大寺に縁のあった人々や現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁長官などの名を読み上げ、その働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願する。
これには怪談めいた話がある。鎌倉時代の集慶(じゅうけい )と云う練行衆(れんぎょうしゅう)が過去帳を読み上げていると、幽霊みたいな青い衣の女人が現われて、なに故わが名を読み落としたかと云ったので、集慶は 咄嗟(とっさ )に声をひそめて、青衣の女人(しょうえのにょにん)と読み上げると女は満足したように姿を消し、以来、青衣の女人は過去帳に書き加えられ、現在でも読み上げられている。読み上げるときには声をひそめるのが習わしである。
3月5日~7日:数取懺悔、走りの行法(12~14日にもあり)
悔過(けか)法要は世間の人達の為の法要であるが、日中(にっちゅう:13時頃)の時(六時の一つ)の後に行われる数取懺悔(かずとりざんげ)別名・三千遍禮拝(らいはい:合掌しておがむこと)は、練行衆自らの煩悩、罪を懺悔するために行われる。練行衆の中灯(ちゅうどう:記録役)、権処世界(ごんしょせかい:処世界の補佐役)、処世界(しょせかい:平衆の末席。法要の雑用役)の若手三人が礼堂に出て堂司(どうつかさ:平衆を率い修二会の進行を担当)の3000回の数えに合わせて数珠を揉みながらの立礼(りゅうらい:立ってする礼)を繰り返す。但し数の数え方は「1偏2偏3偏・・・10偏20偏30偏・・・100偏200偏300偏」と中飛びで数えられるので実際には100回位になる。
半夜(はんや:22時頃)の時(六時の一つ)の後の23時頃に、二月堂内を練行衆(れんぎょうしゅう)が全力疾走で走り廻る1日千遍の走りの行法が行われるが、これは、天上界・兜率天(とそつてん注5)の一日は人間界の四百年に相当するので、少しでも近づき追いつく為に、須弥壇(しゅみだん)の回りを走り廻って最後に、礼堂の座布団の上へ五体投地(ごたいとうち:両膝・両肘・頭を地につけ拝する最上の礼法)をする。儀式が終わると香水(こうずい、霊水)が施(ほどこ)される。なお、香水は、一般参詣者にも礼堂から格子を通して分けられ、頂くと無病息災の霊験がある。
3月7日:小観音出御(こがんのんしゅつぎょ)と後入(ごにゅう)
二月堂の本尊は、内陣(ないじん:本尊を安置してある場所)に二対安置されている秘仏の十一面観音で、大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれ、上七日(じょうしちにち:3/1~3/7)の本尊は、大観音(おおがんのん)だったが、上七日の最終日の3月7日の日没(にちもつ:13時半頃)の時(六時の一つ)の後、午後6時頃から、内陣後堂(うしろどう)に安置されている小観音が禮堂(らいどう:礼拝読経する建物)に出御(しゅつぎょ)する小観音出御(こがんのんしゅつぎょ)で、それまで後に安置されていた小観音が大観音の前に安置され、後夜(ごや:23時頃)の時(六時一つ)の途中で、内陣に戻される小観音後入(こがんのんごにゅう)で正面に安置され、これ以降法要の対象(本尊)が大観音(おおがんのん)から小観音(こがんのん)に入れ替わる。
2-2、下七日(げしちにち)・3月8日~14日、本尊「小観音」
3月8日:法華懺法(ほっけせんぽう)、牛玉日(ごおうび)
法華懺法(ほっけせんぽう):法華経を読誦(どくしゅ)して、その功徳を以て、一切衆生の諸々の罪障を懺悔(さんげ)する法要。
牛玉日(ごおうび):後半の下七日(げしちにち)に入った8日と9日の初夜(しょや:19時頃)の時(六時の一つ)、練行衆が、墨と牛黄(ごおう:滋養強壮の漢方薬)を閼伽井屋(あかいや)で汲んだお香水(こうずい)で混ぜ合わせたもので、十一面観音のお守り牛玉札(ごおうふだ)を刷る作業をする。
この札は、厄除けのご利益があるとされ、修二会が結願した日に結縁の人達に配布される。
3月12日~14日:達陀(だったん)の行法
3月12日以降の3日間は、後夜(ごや:23時頃)の時(六時の一つ)の咒師作法(しゅしさほう)の間に達陀(だったん)の行法が行われる。達陀(だったん)は、パーリ語の「ダッタ」で「焼き尽くされる」「滅し尽くされる」と云う意味。
達陀の行法(だったんのぎょうほう)は、堂司(どうつかさ:平衆を率い修二会の進行を担当)以下8人の練行衆(れんぎょうしゅう)が達陀帽(だったんぼう:兜の様な形をした金襴模様の帽子)をかぶり、燃えさかる大きな松明(たいまつ)を持った火天(かてん:十二天の一人)役と、洒水(しゃすい:清めの水)器を持った水天(すいてん:十二天の一人)役と共に須弥壇(しゅみだん:仏像等を安置するために一段高く設けられた、須弥山を模して造られた台)の周りを回り、跳ねながら踊り、最後に、火天役が松明を床叩きつけ、凄まじく火の粉が飛び散って行法が終る。
行法が終り下堂する際、青竹の杖で石段を打ち鳴らし、“ちょうず(手水・トイレ)”“ちょうず”と声を掛け合いながら石段を駆け下りる。これは、誰もいなくなった二月堂に鬼が出て来て、松明を振りかざし、火事になったら大変なので、練行衆が「ちょっとトイレに行って来るだけ」と鬼に思わせる為と云うが、実は、1667(寛文7)年2月14日未明「達陀」の残り火で二月堂が全焼したのを悔いる意味もあると思われる。
3月12日:籠松明(かごたいまつ)、お水取り
一般的にお水取りとして知られているのは、3月12日のお松明(おたいまつ)だが、本来は、初夜(しょや:19時頃)の時(六時の一つ)の行を始める為の道明かりとして焚かれるもので本行の期間中連日行われ、その松明を舞台(欄干)に上がって振り回すのであるが、12日は普段より一回り大きい籠松明が11本上がるので見応えがあり、火の粉を浴びると健康になるとか、幸せになると信じられ、また燃え残りの杉の枝を持ちかえれば無病息災に効くと云われている。
この籠松明は長さ8m、重さ約70kg(他の日は40kg)で、この大松明を持った童子(どうじ)が観客の頭上に火の粉を散らしながら舞台を走り抜ける。
また、12日は、お松明、半夜(はんや:22時頃)の走りの行法後、後夜(ごや:23時頃)の咒師作法(しゅしさほう)の中で「お水取り」が行われる。正確には13日午前1時半頃、連行衆(れんぎょうしゅう:11名の僧侶)が直径1mもある大きな蓮松明(はすたいまつ)に案内され、二月堂の本尊で秘仏「十一面観世音菩薩」に供える閼伽水(あかみず:仏に供える香水:こうずい)を二月堂下の建物・閼伽井屋(あかいや)の若狭井(わかさい)と云う井戸から汲み取る行事で、これが現在では「修二会」全体を表す「お水取り」になっている。
この若狭井(わかさい)の由来は、天平年間、若狭(福井県)の神宮寺(当時は神願寺)から奈良・東大寺に赴いた印度僧・実忠和尚(じっちゅうかしょう)が大佛開眼供養を指導後、753(天平勝宝4)年に二月堂を建立した最初の修二会で、神々を招待されたが、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は釣りに熱中して遅参し、2月12日の夜半に参列した。
遠敷明神はそのお詫びも兼ねて、若狭より二月堂本尊へ、香水(こうずい:霊水)の閼加水(あかすい)を送る約束をしたときに二月堂地下から白と黒の鵜が飛び出して泉が湧き出たので若狭井(わかさい)と名付け、その水を汲む行事を「お水取り」と呼称した。
その伝説を信仰し、若狭の神宮寺(じんぐうじ:福井県小浜市神宮寺30-4)では、毎年3月2日の夜に、神宮寺の境内に湧く閼伽水を、2kmほど上流の遠敷(おにゅう)川の鵜の瀬(うのせ:名水百選の一つ)から、この井戸に水を送る「送水神事・お水送り」の行事が執り行われている。 この水は地下を通って、10日間で東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされ、13日未明の「お水取り」でくみ上げられる。
3月15日:達陀帽戴き(だったんぼういただき)、お集会(おしゅうえ)、開山堂参拝、解散
9時~13時、達陀帽戴き(だったんぼういただき)行事:達陀(だったん)の行法(3/12~14)」で使用された達陀帽(だったんぼう:兜の様な形をした金襴模様の帽子)を幼児の頭に被せる行事で、達陀帽を被せてもらうと賢い子に育つといわれる。(場所:二月堂)
11時、お集会(おしゅうえ):各宿所を仕切っていた戸が開けられ、談笑できるようになる。
13時40分、開山堂(かいさんどう:東大寺初代別当(べっとう:寺務を統轄する僧官)良弁僧正(ろうべんそうじょう)を祀るお堂)参拝
13:50、開山堂の門前にて解散
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■注
注1:東大寺(とうだいじ)
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする、華厳宗(けごんしゅう)大本山の仏教寺院で、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)とも云う。
聖武天皇(しょうむてんのう:第45代天皇)の治世に災害や疫病(天然痘)が多発した為、聖武天皇は仏教に帰依し、741(天平13)年には国分寺建立の詔を、743(天平16)年には東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)像の建立の詔を出し、国力を尽くして建立した寺である。
また、当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の本山にあたる「総国分寺」と位置づけられている。
奈良時代には大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度に渡り焼失した。
現存する大仏は、台座などの一部に当初の部分を残すのみで、1691(元禄4)年に完成したもの。1709(宝永6)年に完成した3代目の大仏殿(現存)は、高さと奥行きは天平時代とほぼ同じだが、間口は3分の2に縮小されている。また、講堂、食堂、東西の七重塔など近世以降はついに再建されることはなく、今は各建物跡に礎石のみが残されている。
奈良時代の寺院では複数の宗派を兼学することが普通で、東大寺も、南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)兼学の寺とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗、最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗っている。
【大仏殿】
東大寺の金堂は通称大仏殿と呼ばれており、高さは47.34m、東西の幅57m、南北は50.48m。
盧遮那仏は高さ3.05mの56葉の蓮華座の上に高さ14.91m、重さ452t。
大仏に向かって右手奧にある柱の根本には大仏の鼻の穴と同じ大きさと言われる穴が空いていて、ここをくぐると幸運に恵まれると云われている。
【南大門】
奈良公園の中にある南大門は、高さ25mの楼門(ろうもん・2階造りの門)で、現存のものは1199(正治元)年に再建された。門の左右には1203(建仁3)年、仏師運慶・快慶が弟子と共に75日間で造立した、開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の金剛力士像が安置されている。阿形(あぎょう)はいっさいのはじまりを意味し、吽形(うんぎょう)はいっさいの終りを意味している。
写真:東大寺大仏殿、大仏、二月堂、お水とり、十一面観音、南大門、阿形(あぎょう)像、吽形(うんぎょう)像
注2:法会(ほうえ)
仏教において仏法を説く為や供養を行う為の僧侶・檀信徒の集まりである。その後、法会は追善供養などで行われる法要(法事)などと同じ意味で使われるようになった。
注3:十一面観音(じゅういちめんかんのん)
観音菩薩(※1)の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音(※2)の一つでもある。本体の顔以外に頭上に11の顔を持つ菩薩である。
※1:観音菩薩(かんのんぼさつ)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、救世菩薩(くせぼさつ)など多数の別名があるが、一般的には「観音さま」とも呼ばれる。
般若心経の観自在菩薩は、梵名の「アヴァローキテーシュヴァラ」の、アヴァ(遍く)ローキテー(見る、見た)シュヴァラ(自在者)という語を玄奘三蔵が漢語に訳したものである。また、法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて33の姿に変身すると説かれており、西国三十三所観音霊場、三十三間堂などに見られる「33」という数字はここに由来する。
※2:六観音
真言系では聖観音(しょうかんのん)、十一面観音、千手観音(せんじゅかんのん)、馬頭観音(ばとうかんのん)、如意輪観音(にょいりんかんのん)、准胝観音(じゅんていかんのん)、を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道(界)に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道(界)=聖観音、餓鬼道(界)=千手観音、畜生道(界)=馬頭観音、修羅道(界)=十一面観音、人道(界)=准胝観音、天道(界)=如意輪観音という組み合わせになっている。
聖(しょう)観音=地獄界(六観音の役割)
写真
衆生の求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩であり、正式には観世音菩薩または観自在菩薩と云う。
観世音菩薩は、鳩摩羅什(くまらじゅう)による漢訳。
観自在菩薩は、三蔵法師の名で知られる玄奘(げんじょう)の漢訳。
准胝(じゅんてい)観音=人間界(六観音の役割)
写真
七倶胝仏母(しちぐていぶつも:無限(七倶胝)の仏の母の意)とも云いい、その像容は一面三眼十八臂とするものが多く、手の本数が多いことから千手観音と混同される場合もある。
密教で特に重視され、西国三十三箇所第11番札所の真言宗・醍醐寺(だいごじ:京都府京都市伏見区)の本尊でもある。一方、天台宗では准胝仏母と呼ぶ仏母尊とされ、六観音には准胝の代わりに不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を加えている。
十一面(じゅういちめん)観音=修羅界(六観音の役割)
写真
大光普照(だいこうふしょう)観音とも呼ばれる本体の顔以外に頭上に11の顔を持つ菩薩である。
頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地(じゅっち:菩薩が修行して得られる位で52位)を表し、最上部の仏面は仏果(ぶっか:菩薩が修行して得られる最高位)を表す。
千手(せんじゅ)観音=餓鬼界(六観音の役割
写真)
十一面千手観音、千手千眼(せんげん)観音等の呼び名があり、千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
千手観音の実際の造像は、38本の持物をもつ手に加えて合掌手(がっしょうて:敬い、思いやるようにする願いをする手)手と宝鉢手(ほうはつて:お腹の病の難からすくわれる願いをする手)を含めて40本の手を持つものが多い。
馬頭(ばとう)観音=畜生界(六観音の役割)
写真
馬頭は、ヒンドゥー教で3人の最高神(創造の神・ブラフマー、繁栄の神・ヴィシュヌ、破壊の神・シヴァ)の1人繁栄の神・ヴィシュヌの異名で、他の観音が女性的で穏やかな表情で表わされるのに対し、馬頭観音は目尻を吊り上げ、牙を剥き出した忿怒(ふんぬ)相であることから、馬頭明王(ばとうみょうおう)とも称する。また馬頭という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。
如意輪(にょいりん)観音=天界(六観音の役割)
写真
救世菩薩とも呼ばれ、六臂(ろくび:6本の腕)像は、その内の2本に、尊名の由来である如意宝珠(にょいほうじゅ)と法輪(ほうりん)を持っている。
如意宝珠 (にょいほうじゅ)とは、「意のままに様々な願いをかなえる宝の珠」のことで、一般的に、下部が球形で上部が円錐形に尖った形で表され、仏像が持つ球形や球に近い形の珠はすべて如意宝珠(にょいほうじゅ)と呼ばれる。また、仏塔や仏堂の頂上や橋の欄干などの建造物の装飾として取り付けられる擬宝珠(ぎぼし)はこれを模したものである。
法輪(ほうりん)は、古代インドで使用されていた、真ん中に穴のあいた金属製の円盤の外側に刃が付けられている、投擲武器。
写真:如意宝珠(にょいほうじゅ)
不空羂索(ふくうけんさく)観音
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天台宗で准胝(じゅんてい)観音の代わりに六観音に加えられており、不空(ふくう)は、空しからず・願いが叶うこと、羂索(けんさく)とは、戦いや狩猟に用いる環のついた投網ことで、菩薩の網で、苦悩する人々を漏れなく救済する菩薩を意味する。
注4:練行衆(れんぎょうしゅう)
参籠(さんろう:修二会に参加する事)する僧侶のことを練行衆と呼び、練行衆・11名の僧侶の任命は毎年、東大寺初代別当良弁(ろうべん)僧正(そうじょう)の御忌日にあたる12月16日早朝、法要開始前に華厳宗(けごんしゅう)管長から発表される。
練行衆の他に三役や仲間(ちゅうげん)、童子(大人である)と呼ばれる人達がこれを補佐する。
練行衆には役割に寄って四職(ししき)と平衆(ひらしゅう)との名称が付けられ、堂内での席の位置によって、北座衆と南座衆に分かれる。
【四職】
①和上(わじょう):練行衆に戒(かい)を授ける役。
②大導師(だいどうし):祈願を司る総責任者。通称・導師さん。
③咒師(しゅし):密教的、神道的修法を行う。
④堂司(どうつかさ):平衆を率い修二会の進行を担当。
【平衆】
⑤北座衆之一(きたざしゅのいち):北座の長で平衆の主席。
⑥南座衆之一(なんざしゅのいち):南座の長。
⑦北座衆之二(きたざしゅのに):北座の次席。
⑧南座衆之二(なんざしゅのに):北座の次席。
⑨中灯(ちゅうどう):記録役。
⑩権処世界(ごんしょせかい):処世界の補佐役。
⑪処世界(しょせかい):平衆の末席。法要の雑用役。
注5:兜率天(とそつてん)
六欲天の第4天。覩史多天(としたてん)とも云う。須弥山(しゅみせん)の頂上から24万由旬(168万km)の処の天界で、内院と外院に分かれている。外院は天衆が、内院には将来仏となるべき菩薩が住むところで、現在は、弥勒菩薩がここにおり、釈尊滅後56億7千万年経って地上に下りることになっている。
仏教の開祖・釈尊もここから白象に乗って摩耶夫人の胎内に下がったと云う。
天人の寿命は4000歳である。ただし人間の400歳をこの天の1日1夜とする。
須弥山の詳細は→PDFファイル
注6:戒壇院(かいだんいん)
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出家者が正式の僧尼となる為に、守らなければならない道徳規範や規則の戒律を授けるために設置された施設で、755(天平勝宝7)年に、鑑真和上を招いて創建された。現在の建物は享保18年(1733年)の再建である。内部中央に宝塔があり、その周囲を四天王像が守っている。
注7:豊島茣蓙(てしまござ)
摂津国豊島郡(大阪府豊能郡)に産したござ。酒樽(さかだる)を包んだり、雨具に用いたりした。「てしまむしろ」「としまむしろ」とも云う。
注8:御幣(ごへい)
写真
2本の紙垂(しで:しめ縄等に垂らす、特殊な断ち方をして折った紙)を竹または木に挟み、神前に供えたり、神主がお祓いする時に用いる祭具で、幣束(へいそく)、幣(ぬさ)とも云う。(紙垂→part11参照)
注9:神仏習合(しんぶつしゅうごう)
日本古来の神道と仏教を結びつけた信仰のことで、神仏混淆(しんぶつこんこう)とも云う。
日本に仏教が伝来した飛鳥時代以降、平安時代になって仏教が一般にも浸透し始めると、神は仏の仮の姿であるとする神仏習合思想が生まれ、寺院の中で仏が形を変えて姿を現したとする神(権現・ごんげん)を祀る神社が営まれ、神社に神宮寺(じんぐうじ)が建てられたりした。
注10:賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
釈迦仏の弟子で、中国では像を食堂(じきどう)に安置して祀った。日本ではこの像を「おびんづるさま」と呼んで、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。
写真:東大寺・大仏殿前、三津寺(みつてら:大阪府大阪市中央区心斎橋筋)
注11:八斎戒(はっさいかい)
在家の信者が六斎日(ろくさいじつ)に守る以下の8種の禁戒
①不殺生戒(ふせっしょうかい):故意に殺傷しない。
②不偸盗戒(ふちゅうとうかい):故意に我が物としない。
③不婬戒(ふいんかい):性行為から離れる。
④不妄語戒(ふもうごかい):嘘をつかない。
⑤不飲酒戒(ふおんじゅかい):アルコール類を飲まない。
⑥不香油塗身戒(ふこうゆずしんかい):化粧をしない。
⑥不歌舞観聴戒(ふかぶかんちょうかい):歌舞を見聞しない。
⑦不高広大床戒(ふこうこうだいしょうかい):高くゆったりとしたベッドに寝ない。
⑧不非時食戒(ふひじじきかい):昼以後、何も食べない
六斎日とは、月の内8日、14日、15日、23日、29日、30の6日間を云い、これらの日は悪鬼が人の生命を奪おうとする日であり、そのため病気など不吉な出来事が起こりやすいとされている。
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■写真
写真・PDFファイルは和坊流宇宙(http://www.justmystage.com/home/kazubo/)の和坊放浪記:口永良部島編:part19でご覧ください。
続く:口永良部島編:part20
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なんかココさぁー名器に出会える確率チョー良すぎなんですけどwwww
こないだの子も中の構造がうまく説明出来ないくらいすげーグニュグニュでさw
出し入れする度にカリが刺激されてアヒャアヒャ声出しまくっちゃった(^^;
一回でも名器にハメると絶対忘れられないくらい気持ちいいからやってみ?ww
投稿: アッヒャァイイイハホwwwww | 2009年5月30日 (土) 16:20
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だから試しにこのバイトやってみたんだが・・・
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彼女以外の女の子とセックスも出来て気分転換出来るしサイコーだなwww
あっちなみに借金はソッコーで完済しました( ̄ー ̄)v
投稿: 今日の運勢は・・チンポ!!! | 2009年6月 2日 (火) 19:38
パ チ ン コ負けすぎて借金まみれになったから焦ってバイト探したら
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投稿: ギャンブル最高!!!! | 2009年6月 6日 (土) 14:40
これヤった後でパチ屋に行ったら勝率上がりすぎwwwwww
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パチも負けねーもんだから金が余りまくりっす・・(^^;
まー金は余っても困らないからまだ続けるけどねーヽ( ・∀・)ノ
とりあえずBMWでも買うわwwwwwww
投稿: ふぇじょーーーあwwww | 2009年6月11日 (木) 19:10